月曜日, 12月 04, 2006

ひらがな革命


NHKの歴史番組を見た。

「ひらがな革命」というタイトルだったので、興味をひかれたのだ。

日本でひらがなを一般に使い始めたきっかけが、平安時代の藤原時平と菅原道真の一件が大きく影響しているという。

歌舞伎の演目にある「菅原伝授手習鑑」では、藤原時平は道真を追い落とした悪者として描かれているし、菅原道真は今では神様として崇められている人物として有名だ。

二人は平安時代の政治家として律令制度改革を断行した人物であった。
時平は名門貴族の出身で色恋沙汰も多い人物だった。反面、道真は中国の学問に秀でた学者肌で尊敬を集めていた。
当時、文化や政治のやり方は中国をお手本にしていたので、公文書などは漢字のみで書かれ、中国を絶対視する風潮があった。


律令改革の旗出を振っていたのは道真のほうで、大胆な改革を行った。長年続いていた遣唐使を廃止した。(この時代の中国は混乱していて学ぶところはないという考えからだ) また、土地は全て国のものという考えを改め、所有を認めるかわりに税金をとるという政策を行ったが、税金を払いたくない者たちから疎んじられ、左遷されてしまったのである。

そして、その改革の後を次いだのが藤原時平だった。
しかし、その道のりは困難を極めた。大胆な改革というのはなかなか理解を得られないのである。
そこで、当時の政治のお手本はとして中国を絶対視する官僚たちを動かすために和歌集の編纂を思いついたそうである。

それが「古今和歌集」である。


当時の中国絶対視の象徴である漢文からひらがなを用いた和文による和歌の編纂により意識革命を起こそうとしたのである。
ひらがなは女性が和歌を書くのに使われていただけで、公の文書には使われていなかったそうだ。
数多くの女性と歌の交換をしていた時平ならでのアイデアである。

この「古今和歌集」の編纂はとても意味のあるものになった。
もちろんこの改革は延喜の改革として後世に残るものとなったし、日本固有の文化を尊重する国風文化というものが生まれた。

おもしろいことに漢文を尊重した道真とひらがなを広めた時平であるが、漢字とひらがなと混ぜた和漢混合文というのが日本語として発達していくのである。

そこから枕草子などの文学が発展した。


日本人というのは柔軟である。

いつも外国の文化に憧れるが、行き過ぎるとちゃんと自分たちの足元にある独自の文化を見なさいよ!という人が現れ、見つめ、また発展させていく。
何事も行きすぎは良くないということを歴史は教えてくれる。

存命中は不遇だった道真は神様になり、改革を成し遂げ国風文化のきっかけを作った時平は悪者になっているというのは、なんとも皮肉な話。


「その時歴史が動いた」
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_11.html#04

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