水曜日, 10月 24, 2007

インド旅行記 - 最後に


最近のインド経済、株式市場の過熱ぶりを見るにつけ、現在のインドを見てみたかった。
もちろん、インドの歴史、史跡、釈迦の仏足跡やヒンドゥーの寺院など以前から興味のあるものはたくさんあるが、まずは今のインドをこの目で見てみたかった。

一言で言うと混沌、だろうか。
ご存知の通り、彼らは細かいカーストの世界、自分のいる場を享けとめながら日々を生きている。その雑多な人々の日々の営みがその生活を作り、街を形作っているような気がする。

インドという広大な国土において、人種は北部と南部では違うし、言葉、習慣、食べ物も違う。そのすごいエネルギーが渦巻く器をまとめるには、宗教の力が必要なのではないかと実感した。ヒンドゥーの神々の像や絵を見るとわかるが、あの迫力ある生々しい彼らのエネルギーをまとめるには神の力なくしては至難の業のように思う。

日々の生活の中に、神々がいて、感謝をして生きる。
カーストを肯定するというわけではないが、生まれたこの世を受け止め精一杯生きるということができる民族のような気がした。彼らのスパンはとても長い。
この世だけではなく、前の世、未来の世を見て物事を考えるのだから。

今回の旅は短く、デリーとジャイプールだけだったので、一端を見たにすぎない。
IT都市としてもてはやされている、南部のバンガロールなどはまた違うだろうし、ヒンドゥーの聖地、ベナレスはもっと違うだろう。

また、インドに来たいと思う。




気がついたこと

・ ホテルの値段は欧米並み。特にデリーのホテルは年々上がっているそうだ。


・ インドの交通事情は前述したが、とにかく交通法規というものは存在しないように思う。サイドミラーはない車が多い。また積載オーバーなのか、トレーラーが横倒しになって止まっているのを何度か目撃した。


・ デリー近郊の建設ラッシュは目覚しい。デリージャイプール間の道も以前はでこぼこの舗装されていない道もあったそうだが、現在はずっと舗装されていた。


・ デリーの街中ではあるが、比較的新しいビルが壊されているのを目撃。これは今まで営業していたビルが政府にいちゃもんをつけられ、壊さざるを得なくなったとのこと。こういうことはよくあるそうだ。 袖の下が足りないとか気に食わないからだろうか。


・ 道にいる牛は基本的には放し飼い。草原のない街に放牧されるとうわけだ。食料は人々から恵んで

もらうものか、道に落ちているものを食べる。なので、骨が出てがりがりに痩せている牛が多い。


・ インドの女性は身体の線が出るような服は着てはいけないということで、パンジャビドレスかサリーを着ている人が多かったが、デリーの中心にはTシャツにGパン姿の女性もちらほら。でもまだまだ珍しいようだ。


・ インド人は食後のお茶を飲む習慣はないようだ。合間に何かとチャイを飲むけれど。例えばお店に行くとチャイが出たり、お水が出たりする。


・ ムスリムではないインド人も外でお酒を飲む習慣はあまりない ようだ。カフェでお菓子を食べている人が多かった。確かに彼らはスナックとミルクでできた甘いお菓子が大好きみたい。日本では金箔をお菓子に使うが、インドでは銀箔を貼ったお菓子がたくさんあった。


・ 店では必ずディスカウントを要求する。食事代もだし、物を買うときもだ。私達はインド人夫妻と一緒にいたので必ず彼らがビルをチェックして支払いをしていた。あるジュエリーショップでのこと。ヴィーナさんが店員の前で友人の宝石屋に電話をして相場を聞き、見事ディスカウントをしてもらった。すごい演出である。こういう努力も大事なのだ。

・ かわいいデザインの靴はたくさんある。1000円ぐらい出せばビーズのついたかわいいサンダルは買える。靴の値段は日本よりずいぶん安いと思う。おもしろいことに、靴屋さんの倉庫は大体2階にあるみたいで、ストックは上から落ちてくる。ぼやぼやしてると頭に落ちて来るんではと冷や冷やする。とはいえ、従業員が多いので担当がちゃんと下にいるので大丈夫。下に人がいないときに落とすことはない。
・ 石鹸は100円ちょっとなので日本と同じぐらいだろうか?よく見るとunileverとあったので、あの多国籍企業じゃないと思いHPをチェックしたところインドでもビジネスを展開していた。Unileverはイギリスで創業した会社だが、起業まもなくインドに進出している。私が購入した石鹸はなんと1902年にインドで発売になったものらしい。歴史を感じさせる。


・ インドのアイスキャンデーは練乳を固めたサツマイモみたいな味だった。屋台でヴィーナさんが買ってくれたのでご馳走になったが、おいしかったしお腹も壊さなかった。インドでは歯磨きするのもミネラルウォーターでやらないとだめだ、という話があったけれど、私の場合結局お腹も壊さずにいられた。


・インドには素晴らしい工芸品がたくさんある。特にテキスタイル、更紗や刺繍、織物はとても美しい。芸術品である。インドでもハンドメイドは高い。ヒンドゥーは自然や神を具象化し、イスラムは具象化せずに幾何学化する。その二つの文化と芸術が融合することですばらしい芸術が生まれたそうである。ジャイプールにある伝統的なハンドメイドにこだわった手法を守り続けている更紗の工房も訪ねた。こちらでは木型で版を彫り、一つ一つ押していく作業を見学した。


・ サモードパレスでの朝食は、山を降りたマハラジャの庭園、サモードバーグでゆっくりいただいたのだが、この庭園は圧巻だった。というのも、まわりは乾いた砂漠地帯であるにもかかわらず緑あふれ、噴水の水が流れる広大な庭園だったからだ。富の偏在というかお金がかかったところはとことん素晴らしいと感じる。緑の中でゆっくりしているだけで風が通り抜け、夢心地になる。






・ ロハルハウスではシタールの演奏を聴いた。上に七弦下に12弦だったかを張ってあるとても大きな弦楽器である。ラジャスターン音楽は軽快かつ物悲しい感じだったが、私達が日本人だったからか、「幸せなら手をたたこう、パン、パン」っていう曲を披露してくれた。インドでも有名なのだろうか?と思ったらスペイン民謡だった。


・ インドの水の飲み方は、基本的にシェアするからだろうか?ボトルには口をつけずに口から離して流し込む。みんな器用にやっている。道端の人もコップというかかなり大きい入れ物を皆で回し飲みしていたが、上手に口をつけずに飲んでいた。


・ インドのトイレ事情。これについては事前にいろいろ聞いていたがやはりきつい。ホテルのトイレは水洗で紙もおいてあるが、空港などの公衆のトイレには紙はなく、インド式のトイレ(足を置いてしゃがむタイプ。和式に似ている)にはコップがおいてある。インド人はその水で洗い流すようだ。その後は自然乾燥か。水洗事情も悪く、洋式でも流れないことがあるので紙は流さずゴミ箱に入れる。(ゴミ箱が置いてあればいいが) ちょっとましなインド式はコップではなく、横に小さなシャワーがついていて、手動ウォシュレットとして使う。慣れないときついけど、紙を使わず最小限の水を使うというのはエコな感じがする。とはいえ日本人にはかなりきついかな。

月曜日, 10月 22, 2007

インド旅行記 - マハラジャ~ 夢の宮殿


ジャイプールは古くから商業、交易の中心として栄えてきたので、この町のマハラジャはたいそう裕福だったそうだ。そのマハラジャの宮殿が今でも残されている。

現在は町の中心にミュージアムとして残っているシティパレスとランバーグパレスという迎賓館(現在はホテル)、そして郊外の山の離宮サモードパレスがある。
今回のジャイプール滞在ではそれらのパレスを全部見ることができた。

シティパレス
アートとテキスタイルとアーム(武器)の3つの館があったが、アーム以外を見学した。
そのどれもが巣晴らしいものばかりだったが、特にマハラジャや奥方の衣装などはきれいに残されていて、その技術と美しさに感動する。

18世紀のマハラジャがイギリスに行ったときに聖なるガンジス川の水を入れた大きな銀製の壷のような甕のようなもの。

現代のマハラジャもこんシティパレスの一角に住んでいるそう。
今はホテルや企業を経営しているらしい。


ランバーグパレス
市の中心にある広大な庭園の中にある宮殿が今はホテルとして使われている。
私達はディナーに出かけたが、これがまた素晴らしい装飾、クリスタルのシャンデリアに重厚な家具、大きな花々を生けてある部屋の中にターバン巻いた給仕の方がいると、マハラジャの宴に招かれたような気がした。

お料理はもちろんカレーだけれど、とーても上品だった。
インドでは、お肉のグリルに緑色のミントソースをつけて食べるのだがこれがまたさっぱりしておいしい。そういえば、ポテトチップスにもミントソースフレーバーなるものがあって結構いけてました。

ディナーの後、庭園散歩する。
キャンドルがあったり、花火が上がったりとロマンチックだった。



サモードパレス
ジャイプールの中心から2時間?ぐらいのところにある離宮。
やはり運転手のビクラムくんは迷いまくり、3時間ほどかかっただろうか。

インドには地図がないし、標識もない。
日本のゴルフ場の案内なんてすごいけど、あまりになさすぎるのもどうかと思うが、サモードに行く道にもほとんど看板がない。
いろんな人に道を聞きながら行くというのはインドでは当たり前。
まあ、先を急ぐビジネスマンではないからいいけれど。

あるときアルファベットで「samode →」みたいな看板を目にしたけれど、ビクラムくんは無視して別の道を行く。あれれ??と思ったけれど、彼は英語のアルファベットがわからないから認識ができなかったのだ。

インドの人はヒンドゥー語と英語の両方を使うものだと思っていたが、実際のところ中流の上ぐらいの人たちは英語を使っても、庶民はほとんど英語を話せないようだった。




乾いた土地の向こう、山の上にサモードパレスがある。
サモードの村自体が宮殿の城下町のようになっていて、小さなおとぎの国に迷いこんだようだった。子供達の屈託のない笑顔と動物のオンパレード。らくだ、ヤギ、いのしし・・・
その中を通り抜けパレスに到着。

山の上の素晴らしい宮殿だった。
ホテルとして使われているが、マハラジャの宴会の広間や、その宴会を覗くための女性の間とか、広大なプールや瞑想の間には素晴らしい模様のタイルやゴージャスな装飾があり本当に宮殿にいるようだった。

ところでインドのお風呂事情について。
基本的にお湯は浴場の上にタンクがありそこに貯めて使うらしい。
なので、たくさんのお湯は望めない。

デリー滞在の最初の日は、夜も遅く、ぬるいな~と思ってシャワーをしたが、実は水だったよう。暑い国なので湯温は気にしないのかな~?なんて思っていたんだけど、タンクのスイッチが入っていなかった模様。
翌日はスイッチを入れて入ってみたけれど、ちょっと暖かくなったかな?というぐらいだ。

ジャイプールでのホテルはとてもいい上等のホテルだったけれど、やっぱり大きなバスタブにお湯を貯めてしまうと後のシャワーはうーん温いなあということになる。

そこで改めて日本の水の豊かさや暖かいお湯にふんだんには入れるお風呂事情が嬉しいと思った。


ディナーはホテルのテラスで、民族音楽を聴きながらいただいた。
初めてカレーではないメニューもあったのだが、私の大好きなほうれん草のカレーパラクパニールがあったので、またもやカレーをオーダー。予想通りとてもおいしい。

ラジャスタン地方の音楽だろうか、生のライブはどこか哀愁漂う演歌のような歌声の中に、いつものリズム、カスタネット、太鼓が混じる軽快なものでとてもよかった。

宮殿での最後の夜、私もデリーで買ったパンジャビドレスを着てみた。
インドの宮殿での夢のような一時、タイムスリップしたような気分を味わった。

金曜日, 10月 19, 2007

インド旅行記 - ヴィーナさんのヨガレッスン


ロハルハウスでの2日間は、ヴィーナさんがヨガの先生なので毎朝7時からレッスンを受ける。
昼間には30度を超えるところだが、砂漠気候のせいか早朝はかなり涼しい。
朝早く起きて緑の芝生でのレッスンはとても気持ちがよかった。


2日にわたりウォーミングアップから笑うヨガ、瞑想まで教えてくれた。
ベーシックな部分をわかりやすく教えてもらったので、全部は紹介できないががその中でも呼吸の仕方、Pranayamaプラナヤマはすぐに実践できるものなので少しここで紹介したい。

この呼吸法はスポーツ選手が試合の前などに精神統一してエネルギーを体に充満させるのに使うという。鼻だけで呼吸する。


Lom-anulom ロム アヌロム
親指と薬指を使って鼻の穴をふさいで呼吸。左から吸って右で吐く。右から吸って左から吐くというのを繰り返す。1日10分やると高血圧にいい。

応用編で寒いときの効果がある呼吸法
左だけを100回、右だけを100回、両方100回と早い呼吸を繰り返す。

Ujjayiウジャイー
喉の奥を鳴らして呼吸。甲状腺にいい。

Agni sara アグニーサーラ
鼻で吸って息を全部吐ききってお腹をへこましたところでへその辺りを背骨のほうにへこませる運動。胃にいいそう。

Bhramri
親指で耳の穴をふさぎ、中指、薬指で目をふさぎ声を出し蜂の飛ぶ音のような音を頭の中に響かせる。これは偏頭痛にいいそう。


またプラナヤマだけではなくたくさんのことを教えてもらった。
特に印象的だったのは瞑想の後、AUMオームというマントラ(真言)を何度も唱え、体中に響かせる(バイブレーション)ことでエネルギーが充満して精神が落ち着くということを知った。

オームとは母なるマントラで宇宙の種のことだそう。

そして笑うヨガ。
よくインドの公園では笑うヨガをやっているおじさんがいると聞いていたし、確かにデリーの公園でも見た。
でも、自分でやってみるとこれがなかなか楽しい。
思いっきり「わっはっは~」と笑っているとほんとうに楽しくなってきて、終いには涙も出てきたり。それに大笑いすると横隔膜を思いっきり使うので腹筋にもなりそうだった。


人間は身体と精神の両方がリラックスしないといけない。
身体が動きすぎると精神はリラックスしないので、最初に身体をリラックスさせる。そして瞑想して精神、心をリラックス。みんなのこと、世界のこと、神様のこと、すべての幸福を願いながら・・・・とヴィーナさんは教えてくれた。

木曜日, 10月 18, 2007

インド旅行記 - ジャイプール編


翌日はジャイプールに向けて出発。
デリージャイプール間は車で5時間ぐらいの距離だということだったが、なんと8時間もかかってしまった。





いろいろ理由はある。

まずは、インドの交通事情。

空港から出るときから感じたものだが、まず駐車場もどうやって出るんだろうというぐらいむちゃくちゃに駐車している。駐車スペースを決める線は引いてあるが関係ない。車の前に二重三重と駐車しているので、出るときが困る。人づてに前に駐車している運転手を誰かが探してくれるのだろうか?車を押してどかしている人もいた。



そして道路はもっとすごい。

車線は一応引いてあるけど関係ない。
3車線のところはだいたい5車線ぐらいになって乗用車、トラック、オートリクシャーという3輪バイクのタクシーが入り乱れて走る。そしてたまに道路を渡る人がすぐ横にいたりしてびっくりさせられる。危ないなと思いながらも信号や横断歩道があまりないので仕方がないのだろう。そして路側帯には牛が寝そべっている。

ちなみにインドでは自転車でひく自転車リクシャーとバイクのオートリクシャーがたくさん止まっている。リクシャーというのはリキシャ、人力車から来たそうで日本からもたらされたものだそう。人力は今はないが、ベトナムだと自転車のシクロやタイのトゥクトゥクなどアジアでは健在である。

日本が語源とは知らなかった。


あるとき車にサイドミラーがないことに気付く。


えー??と思ったが、確かに痕跡はあるのだが取り外しているか(接触して取れてしまったのか)、もともとない車が実に多い。最近は景気がいいので新しい日本車にはさすがについていたけれど、どうもサイドミラーで確認する習慣がないように思われる。

なので、あのうるさいクラクションを鳴らす。


鳴らして鳴らして前の車をどかすのがインドの交通マナーのよう。
日本ではクラクション使うときなんてほとんどないのに。

とくに大きなトラックの後ろには必ず「BLOW HORN」と書いてある。

近づいてきてもわかんないから、鳴らしてねというのとトラック野郎に対する景気づけか?日本のトラック野郎みたいに車内をきれいに飾っている人もいたし、大体ヒンドゥーの神様のお守りをつけていた。
その辺は日本も同じだけど、神様に守ってもらわないとこの激しいインド道路事情では生き残るのも大変だ。




デリーの中心から外に出るのに2時間ほどかかってしまう。
途中の道の悪いところや急ブレーキなので、日本車に乗っているはずなのに少し酔ってしまった。でも、中心部を抜けると後はハイウェイのような広い道に出た。



この辺からデリー郊外のIT都市&マンション建設ラッシュみたいな景観が広がってくる。この様子を見るとインド経済の上昇振りが窺える。デリーの街中の喧騒とは違う明らかに新興都市のような気配がむんむんする。



それも過ぎると今度は田舎の草原地帯が続き、だんだんサバンナの様相を呈してくる。
というのは、インドの中でも北西部の砂漠地帯に属するからだ。


ジャイプールはラジャスターン州の州都。古くから商業の中心でこの町を通過しないとインド全土には行けなかったというぐらいだから、この町のマハラジャはたいそうお金持ちだったそうだ。

そして商業の中心ということは素晴らしい工芸品がもたらされ作られたところである。
今でも職人達の昔ながらの方法で作られた工芸品、更紗であったり、細密画であったり、織物であったり、いろいろ芸術品を目にすることができるのである。
また近郊の土が赤いからなのか、城壁や建物がピンク色なのでピンクシティとも呼ばれる。



ジャイプールが近づくにつれ、動物を見る機会も多くなった。
らくだ、馬、ろばが荷を引いている。サルやヤギ、水牛がいる。
もちろん牛はたくさんいた。
牝牛はミルクが取れるので神聖視されているが、基本的には放し飼いなのでとても痩せている。雄牛のほうは、荷を引かされていた。





お昼はチャダさんのお陰で、地元のトラック野郎が使っている食堂で食べることができた。


チャダさんがいろいろと指示して出来上がったカレーは、とってもおいしかった。日本人だけだとなかなかはいれそうにない店だったし、コストパフォーマンスはばっちり。


オープンキッチン(!)だったので料理の仕方も見ることができたので満足。
あとから考えると、この時食べたカレーがインド滞在中のベストだったかもしれない。





ジャイプールに近づくにつれ、夕闇が迫る。
乾いた大地の中に色鮮やかなサリーを着た女性達の姿が映える。
夕焼けが映りとてもきれいだ。


ジャイプール到着までになんと8時間かかってしまった。

交通事情もあったがデリー出身の運転手くんたちは、ジャイプールを知らない。
不思議なのだが、インドでは地図や道標みたいなものがないようだ。
なので、行く先々で彼らは道を聞く。
走っている車を止めたりするのも平気。
そして聞かれたほうも本当に親切に道を教えてくれる。(但し知っている範囲で)
普通一度か二度聞いたらわかりそうなものだが、なかなか理解できないらしく結構道に迷ったりした。

そして最後は、ホテルの直前にあった踏み切り。


通常の踏み切り待ちと思いきやなかなか時間がかかる。
そうこうしているうちにどんどん人が集まってくる。
それでもいっこうに動く気配はない。
30分ぐらい待っただろうか。やっと原因が判明し、どうも貨物列車が故障して線路で止まっているらしいということだった。

そこでまた親切な人についていって、線路をまたぐ橋を通って無事ホテルに到着したのだが、まだ待っている人はたくさんいた。とってもインドらしいというのか、近くに別のルートがあるのに気長に待っているのには恐れ入る。





ということで、11時にデリーを出発してホテル、ロハルハウスに到着したのは19時過ぎだった。ここはホテルというよりお屋敷で、イスラムの上流家庭の家に滞在できるようになっている感じ。
インドのハイソな方がお忍びで使うらしいが、すばらしいお屋敷だった。ここのオーナーはムスリムでとても由緒正しい古い家柄の方でなんと祖先はサマルカンドから来たということだった。感じもよくとってもハンサムで素敵だ。


この日はお屋敷でのディナーだったが、今回のカレーはムスリム風。チキンや魚などのお肉も入っていた。デリーでのカレーはほとんどお肉が入ってなく、ベジタブルだったから新鮮。もちろんアルコールは禁止だ。デザートはパンプディングみたいなものが出たが、なぜか銀箔が貼ってある。

インドでは銀箔をお菓子に貼ると高級になるのかな??


それにしてもこの一日は長くて激しい1日。
ほとんど車に乗っていたのに・・・

火曜日, 10月 16, 2007

インド旅行記 - ヒンドゥーウェディング編

初めてのインド旅行。

今回の旅の目的は、友人の結婚式がメイン。その後がジャイプールに移動してマハラジャの宮殿に泊まったり、工房を訪ねたりの旅だ。
行程は彼らが全部アレンジしてくれているのではっきりいって大名旅行。車をチャーターして移動していたので自分で町を歩くということはしなかったけれど、初めてのインドはとてもエキサイティングな旅になった。


新郎の松本さんは昨年ダライラマ法王と接する機会を下さったインド・チベット歴40年近い人。私の友人の恭さんは、バナーラスに1年留学後、渡航暦数回、インド関係の仕事をしていたので二人ともインド大好き、縁のある二人だからこそ実現したヒンドゥー式結婚式だった。

本当に感動したのは、インド人の暖かいホスピタリティと松本さんの今までのキャリアがあってこその結婚式だったと思った。


というのは、結婚式は松本さんがお世話になったデリー在住のチャダ家で行ったのだがその家の夫妻、ヴィーナさんとチャダさんの篤い歓待には脱帽する。準備から始まり当日、その後の一緒に行ったジャイプール旅行を通して、彼らの優しさとインドを愛している松本さんを心から信頼して、また彼らも愛しているのだということを実感した。

そういう信頼関係は一瞬にしてできるものではなく、やはり松本さんが長年かけて作ってきたものであり、インドを愛している数少ない日本人のことを嬉しく思っている証のような気がする。




10月のデリーは1年の中でも良い季節に入る。
インド人にとっては涼しくていいねえ、という時期らしいが気温は33度ぐらい。
でも日本と違って湿度がなく乾燥しているので過ごしやすい。



最近の経済成長に伴いインドの物価も上がり、デリーのホテルの値段はNY?東京並みだという。そこで、デリーの滞在は松本さんがよく泊まるというWorld Buddhist Centerという仏教寺に宿泊。ここのお寺はラダックのお寺なのでチベット
仏教のお坊さん達がやっていて、顔も日本人に近い顔の人が多いので親しみやすい。

食事はやはりカレーだが、とてもマイルドでおいしい。

このお寺に住んでいるという孤児のスニールクマールくんのかわいい笑顔は忘れられない。まだ小学3年ぐらいだろうか?一生懸命お手伝いをしている。



結婚式は夕方から始まるので、私たちゲストの女の子たちはアユールヴェーダのエステに行った。本格的なものではないけれど、シャナーズ・フセインという女性が作った化粧品を使ってのサロンだった。http://www.shahnaz.jp/index.html

バリやタイにある豪華なサロンというよりは、町の美容院風なところだったがテクニックはなかなか。ただ拭きとりのときにコットンを使うので繊維が顔に残るのと外が暑いからか冷房が効きすぎの部屋だったのが気になった。
マッサージの後はシャンプー&ブローをしてもらったが、こちらはおじさんがやってくれた。耳に水が入りそうになったりして大胆ながらも洗い方は上手。
ただブローだけはみんな内巻きにしてしまうので困ってしまう。



その後結婚式の会場となるチャダ家に向かう。

インドの時間はゆっくりだ。
まず家に着くとお水が出て、チャイでもどうかということになる。
そしてゆっくり落ち着いてから行動に移るということがわかった。

なので家で落ち合ってすぐレッツゴーということはありえないのだ。
ビジネスでは大変かもしれないが、こういう感じって私は好き。
でも急いでいるときはあらかじめその時間を考えて行動しなければならないということ。


チャダ家のベランダにはマリーゴールドをメインに花で飾られた祭壇が造られていた。

インドの式は夕方日が沈んでから始まるそうだ。
そして花婿は式が始まるまで花嫁を見ることはできない。

そこで花嫁の控え室を覗きに行く。
ヴィーナさんが一生懸命探したというその衣装はとても素晴らしいもので、ハンドメイドの刺繍とビーズが散りばめられたピンクの衣装はとても彼女に似合っていた。

お化粧も眉の上にお花を描いたり、手の平から手首にかけてはヘナ(髪を染めたりする染料)で細かく絵を描く。こちらはしばらく取れないがお祝いがあったことの印になるらしい。そして腕にはたくさんの腕輪と金色の腕飾りに、もちろん首飾りも。


とても美しかったが、本人はとても重いらしい。
刺繍がふんだんの素晴らしい衣装だっただけに、重量も相当なのだそう。
日本の花嫁と同じである。


花婿はターバンをかぶり刺繍のついた黒の上着に豪華なストールを首にしている。
いつもの松本さんとはえらい違いでどこかのマハラジャのようである。






日も沈みつつあるので、花婿とゲストは一度家の外に出る。
本当はそこで踊りがあったり、白い馬に乗ったり(!)とかするらしい。


そして一人ずつ家の中に入るが、玄関でジャスミンの腕輪とビンディ(額する飾り)をつけてもらいバラの花びらの祝福を受けながら家に入る。

全員が入ったところで花嫁が登場する。
そこで初めて新郎が花嫁を目にすることになるが、ここで花輪(レイ)をお互いに掛け合う。所謂リングの交換のようなものか。



そしていよいよ式が始まる。


四角い祭壇の左端に両親、前左が新婦、右が新郎、その前に司祭が座り、真ん中に儀式用の皿と人焚く釜が置かれる。

ヒンドゥー後での読経が始まり、食べ物や財の象徴であるようなものを親から娘、婿へ引き渡すような儀式をする。そして花嫁のベールの端と花婿のストールの端を結ぶ。

今度は釜の中に薪をくべいれ、読経の度にギーという牛のミルクからできる油とお香を新郎新婦が入れる。ギーを入れると激しく火が燃えていく。これを読経ごとに繰り返す。

その後が大変なのだか、火の回りを新郎新婦は7回周る。

こちらは衣装の裾が燃えないかと冷や冷やしたがなんとか回りきる。
それぞれに意味があるようだった。

その後は花嫁と花婿が入れ替わって座り、最後に花嫁の両親が立って、座っている新郎新婦の頭と頭をくっつけあうようにする。仲良くね!という意味だろうか?

そして最後にマリーゴールドのフラワーシャワーをして式は終了。

大体1時間ぐらいだっただろうか。
とても美しい儀式だったが、本人たちは暑いだろうし、大変だっただろう。



その後はまたインドタイムの始まりだ。
ゆっくりとお酒を飲みながら、過ごす。

どうもインド人たちは普段あまりお酒を飲まないので、こういうお祝いのときにたらふく飲むのかもしれない。

インドの大使館に20年勤めているとかいうインド人によると、インドの結婚式はとても長くて、日が沈んで式が始まって、9時ぐらいから披露宴、終わるのは真夜中というのが普通らしい。

今回は日本向けに短めだったかもしれないが、食事が出てきたのは10時前ぐらいだっただろうか?ヴィーナさんが作ったというご馳走(カレー)はとてもおいしかった。

インドが大好きな二人がインドで結婚式をすることができ、そして参列が出来たことをとても嬉しく思うし、本当に良い式だった。