金曜日, 7月 27, 2007

名月荘









すばらしい温泉に行った。
友人の知り合いがやっているという山形、かみのやま温泉にある温泉旅館「名月荘」
以前から行こう、行こうと機会を窺っていたのだが、なかなか実現しなかった。


東京からは山形新幹線「つばさ」で3時間。

新幹線ではあるが、福島を越えるとと東北本線に向かう路線と切り離され、かなりゆっくりしたスピードに変わる。それもおつなもの。


友人とおしゃべりしている間に着いてしまった。

前から旅館の周りには何もないよ!と言われ、近くで何かを見るというところはない。

山間の温泉らしく、名物はおいしいおそば。
駅からタクシーで5分ほどのお蕎麦やさん、「たから亭」でランチ。


こしのあるおいしいお蕎麦だった。

そしておいしい岩魚の塩焼きもいただいた。

小さめの岩魚で、骨まで全部食べられる。



そして15時前にチェックイン。

名月荘は宿でゆっくりしてもらうために、チェックインは14時、チェックアウトは12時にしている。
宿でしっかりリラックスして、日頃の疲れを取るにはよいサービス。


20室ほどある部屋はそれぞれ独立した離れのような造りになっている。

そして、お部屋には和室のほかに小さなキッチンがついたダイニングが併設してある。

食事はこちらでいただいてもいいし、和室でいただてもいいのだ。


何よりも朝食の時にお布団あげに来ないのがいい。
ダイニングと和室には襖があるので、お布団は敷きっぱなしでOK。
朝ごはんの後もごろごろできるっていうわけ。


以前青森のディープな温泉に行ったときに、湯治としての入浴の心得なるものが書いてあった。

それによると温泉に入った後は、かならず30分ほど横になるべしとあった。湯治場の布団が万年床といわれる由縁であるとのこと。


お布団敷きっぱなしはありがたいサービスでもあるのだ。


お部屋には露天風呂がついている。
少し硫黄のにおいのするとてもいいお湯。

お部屋にあるお風呂なのにずっとお湯が出ていて掛け流しである。

いつでもちょこっと入れるのがいい。

もちろん大浴場もあるし、家族風呂もあるので家族でいっても楽しい。

岩風呂や立ち湯といって立ったまま入るお風呂もある。


なんでもこちらのご主人はバリのホテルが好きで、それを参考に作ったそうである。
なるほど、テラスがあったりダイニングがあったり、テラスに張り出たお風呂などはバリのヴィラにいるような感じもする。


名月荘では館内でゆっくりしてもらうためにいろいろな設備が充実している。

ライブラリや談話室があったり、エステもある。


そして満月の日にはムーンライトコンサートといってクラッシックのコンサートも開かれている。


まわりは山に囲まれた豊かな自然があり、山形のおいしいごはん、そして旅館でゆっくりする。
思いっきりゆっくり楽しむにはお勧めの宿である。

なんでもお客様は県外の人がほとんどで、九州や大阪からもくるそう。

納得である。


翌日もお昼近くまでゆっくりして、かみのやまからはちょっと遠くになるが、出羽三山のひとつ羽黒山にある出羽三山神社にお参りに行った。国宝の五重の塔や2400段はある石段があり、山深い修験者の神社である。






月山を越えると不思議なことに曇りだった天気がきれいな青空。

そこでみる庄内平野の緑と広がりはとてもすばらしいものだった。


実は今回もうひとつのお楽しみとして、アルケッチャーノというイタリアンに行く予定だったが、定休日のため次回持越しとなった。

というのは、このイタリアンのシェフは、野菜の声を聞いて料理するそう。
なんだか不思議だが、庄内の豊かな食材を使ってのお料理は楽しみである。


山形にはスキーぐらいしか行ったことがなかったのだが、とても素晴らしいところだった。

実は名月荘では近々蔵王にもうひとつ旅館を作るそう。
蔵王のお湯はもっとぺっとりしてるお湯だそうだし、冬はスキーもできる。

冬に行くのもまたよさそうである。

最後におまけ:

山形新幹線の途中に米沢駅があるが、そこの駅弁がかなり有名なのだ。(どまんなか弁当が全国2位らしい)このお弁当を買うには、米沢駅の前あたりでJRの車内販売のお姉さんに事前に注文しておくと米沢駅を過ぎた頃席まで届けてくれるというシステム。



知らないと買えません。

金曜日, 7月 13, 2007

ういろう

先日、小田原のギャラリーで写真展をしてい友人のところへ遊びに行った。

小田原といえば、昔はよく箱根や伊東に行ったものだったが、その中継地点というかわざわざ寄って町を歩くことはなかった。

が、今回時間もあったので町を散策してみた。


葉山でも感じたことだが、まず駅に降り立つと空気が違う。
東京とは違い、潮の香りがするし気温も少し高く感じる。

大きな町だが、人も少なくてのんびりとした雰囲気である。

小田原は北条氏が開いた由緒ある古い町で、工芸品や呉服店、古い商店が並ぶ。
東海道の小田原宿だったので、古くから栄えていた町。
町を歩くとあの小田原提灯が下がっていたり、由緒ある紙屋「江島」や薬店があったり。


中でも、以前から小田原に行く機会があったら、絶対に行こうと思っていた店。

「ういろう」である。

ういろうと言っても名古屋のういろうではなく、小さな銀の粒の薬。

この薬は昔から万能薬でなんでも効くそうだが、特に咳が出るときに一粒口に入れると途端に止むそう。会議のときやクラッシックのコンサートに行くときなどは是非携帯したいと思っていた。


でもこの薬はもちろん小田原に行かないと買えないし、買う個数も制限されている。(一人2個)

というのも、この薬を製造、販売している外郎家は、創業600年。

初代は元に仕えていた中国の家だったが、元の滅亡とともに日本に帰化した。
その後小田原の北条早雲に仕えたが、この薬の製法を一子相伝で現在も伝えている。


こんなに由緒ある薬であるが、さらに有名なのが歌舞伎十八番の「外郎売」の外郎である。

なんでも、2代目市川団十郎が持病の咳と痰で台詞が言えず困っていたところ、この薬で全快したので、感謝の気持ちをこめてこの舞台が誕生したそうである。

外郎売の中の長台詞(口上)は、とても長くて言葉遊びありの早口言葉になっているので、俳優やアナウンサーの練習にも使われる。


またおもしろいのが、ういろうの店舗。
小田原来た時に作られたという八棟造りの建物が、かなりインパクトがあった。
1号線沿いに建つその店舗は、昔の木造では再現できずコンクリートで作られたためか、なんだかテーマパークっぽい。

古い建物を期待していたのだが、仕方ない。
車で走っていてもすぐわかるからいいのか。
小田原城のすぐ手前である。



そこから海まではすぐ。


浜辺まで歩いてみた。

御幸の浜というそのビーチは、まだ人はちらほら。

久しぶりに靴を脱いで、しばらく海の中に佇む。

案の定、波がきて濡れてしまったけれど、とても気持ちよかった。

時が経つのも忘れて、水と砂の感触を楽しんだ。

歴史ある小田原の町。
東京からも電車で行けるし、お魚もおいしい。

とても素敵なところでした。

水曜日, 7月 11, 2007


一瞬でしたがオフィスの窓からきれいな虹が見えました。

今日は一日雨模様でしたが、夕方少しだけ日が差したからかな?


一瞬二本に見えるときもありました。



ふと、発見した虹。


久しぶりで嬉しくなりました。


木曜日, 7月 05, 2007

グレゴリー・コルベール


なんだか6月は仕事が忙しく、7月になってしまいました~
書きたいこといっぱいあったんですが、すべてが過去のことになっちゃいました。

でも、これだけは残しておきたいと思ったので。


お台場の特設テント?で3月ぐらいからやっていた写真&映像の展覧会。

グレゴリー・コルベール氏が主催する移動美術館、ノマディック美術館で「ashes and snow」と称して、世界中を回っている。ヴェネチア、NY、LA、そして今回のお台場。

これからも移動をするそう。


彼は過去15年間に40種類の生物とコラボレートしてきた。

以前から友人と行こうと言っていたのに、場所に悪さからかタイミングが悪くなかなか行けなかったところ、最終日の3日前無理矢理行ってきました。


場所はお台場、東京テレポートの駅の近く。
コンテナを積み上げたような巨大な特設テントが会場。

平日の午前中だったが、私のような駆け込みの人が多いのか、結構人がいる。
入場料は1900円だったので、普通の展覧会よりはお高い。
ロレックスがスポンサーだからなのか?
映像とのミックスだからなのか?



テントの中はさすがに蒸し暑い。
なるほど、これ以上暑くなる季節には無理というもの。

テントの中で倒れる人が出てくるかもしれない。

彼の写真は、動物と人間が信じられないぐらい接近して取られているものばかり。
かなり非日常的な空間を感じる。


象の側で本を読む少年。

水の中でジュゴンやくじらと戯れる男。

砂漠でチータの横で寄り添う少年。

乾いた遺跡の中で鷹と舞う女。


これらの不思議な写真と映像が薄暗いテントの中で繰り広げられた。
彼の作品は写真というより映像があって、それを切り取った写真が飾られているようだ。
というのは、流された映像の断片が写真となって飾ってあったから。


最初は、その写真のあまりの近さにびっくりしたし衝撃を受けたが、時間をかけてずっと見ていると、この接近にもすっかり慣れてしまった。逆に見た目は違う生き物なのに、同じ種というのか生き物同士というのか差がつかなくなってしまった。

音が一切なかったからか。


動物も人間も自然の中にあっては、なんら変わらなくて、同じレベルでおしゃべりしながら一緒におだやかに暮らしていけるような気がした。

この映像は何も小細工はしていないという。

こんな瞬間を捉えることができるということは、共存することももちろん可能ということ。


終わってしまった展覧会だけど、次はまたどこかの都市で開催される。