金曜日, 9月 19, 2008

條風会 お能鑑賞


友人の誘いがあり、目黒喜多六平太記念能楽堂のお能を見に行った。

演目は

葛城 内田成信 (能)

呼声 野村萬斎(狂言)

邯鄲 友枝雄人(能)


この能楽堂は初めてたったのだが、こじんまりしていてとても雰囲気がよい。

早めの待ち合わせで、自由席だったこともあり正面のなかなかいい席で鑑賞ができた。


ところで、お能にくる方々は圧倒的にお年寄りが多いのだが、みんな元気だと感心する。
というのも、12時に始まり、途中25分の休憩を挟んで16時すぎまで続けて演じられる。

さすがに私もお尻痛くなったぐらいだからなかなか体力がいる。



お能はまず、音のない地謡だけの仕舞という舞いから始まる。

舞台衣装ではなく、袴で踊るもの。


そして静かに演目が始まるのだ。



最初の葛城は、苦しんでいる葛城の神を出羽の国から来た山伏が加持祈祷によって救い、最後は喜びの大和舞を待って終わる。


最初は村の女の衣装で出てくる、最後には気高い巫女のような衣装で舞う姿がとても美しい。本当に能の衣装は素敵で、また女の面がまた美しくより女神の踊りのような気がしてくる。神を人間の祈祷で救うとい設定も面白いが、古代の神と人が身近な時代のおとぎ話のような能だった。

その後すぐに狂言が始まる。

シテは野村萬斎。許しなしに外出した太郎冠者を叱ろうと主人と次郎冠者が家に出向くが、居留守を使って断る太郎冠者をいろんな呼び声で誘い出す「呼声」。


最初は普通、次は平家節、そして小唄節、、最後の踊節を使っていいリズムなのでつられて踊り出てしまうという話。やっぱり萬斎の声は素晴らしいと思ったし、とっても楽しいお話なので会場の人も笑い出す。 かたいお能の合間にやはりこのような狂言があるのだろう。


ここでやっと25分の休憩。


最後は、友枝雄人さんの「邯鄲」(かんたん)


中国の蜀の時代の話で、人生に悩んだ青年が、邯鄲の宿で昔仙人にもらったという悟りを開く枕というのを貸してもらう。その夢の中で、王位について酒宴を50年も続け歓喜の舞を踊り・・・と思ったら、目を覚ます。


そこで、すべては夢だったのかと茫然とし、人生何事も一炊の夢と悟りを開く。

人生の栄華がいかにはかないかということを示したお話。

登場人物は多かったが、大半は青年の踊り。


宿の女役の萬斎は最初と最後だけに出るので途中はずっと舞台脇で正座していた。しんどいなあ~なんて思っていたが、彼らにとっては平気なんだろう。


この舞台は、夢と現実が交錯し、宿屋や酒宴という違う設定を限られたの能舞台で表現されるのはすごいと思った。ここに日本のミニマリズムというのか、畳に襖の座敷を思い出す。


何もない置かない部屋、絵は襖絵、唯一の表現は床の間であったりするが、そういうところが共通しているなと感じる。


反対に海外の舞台はすごいな~と思う。オペラを招聘するプロダクションの人の話によると、日本に呼ぶだけで何億のお金がかかるそう。舞台装置から人から楽団から考えるとたくさんの人と物を持ってこなくてはならないからだ。

その点、日本のお能はすごいな~と感心。


みんな扇子と楽器は持参する。舞台道具もたまに小さい台だったり、鐘だったり。それも紙とか竹とかでできていて観客の前に運んできて組み立てるわけだから。

比較文化ということで考えてみるととても面白い。


火曜日, 9月 16, 2008

H&M 日本初上陸 ~


先週末はいろんなことが起きました。

といより、前からやばいやばいと言われていたリーマンがチャプター11申請しました。


バンカメかバークレイズ、情報が怪しいですが韓国産業銀行が買うなんていわれていたリーマンですが、最後にどんでん返し、バンカメはメリル買収を決めました。

一番弱っているものより、まだ元気なほうを取った、なんていわれてますが、以前からメリルには興味はあったとは言われているバンカメは、シティを抜いてアメリカで一番の銀行になりました~


昨年サブプライムショックの後、メリルのCEOになったジョン・セイン氏とトレーディング部門のモンタグ氏は今回の身売りで49億円受け取ることになるそう。

1年足らずの間に、メリルを潰さずに救ったということにしても、かなりの額。




アメリカではこんな激しいやりとりがありましたが、こういう金融危機のあおりとうけて、日本の消費もなんとなく景気が悪い。


こんな時に、スウェーデンの服飾ブランド、H&Mが銀座に店をオープンしました。




たまたま、銀座を通りかかったので試しに覗きにいってみたところ、店に入るのに長蛇の列にびっくり。


H&Mってパリやニューヨークにあったけれど、日本には入ってなかったお店。

海外ではなんだか安い服が山積みにおいてある量販店っぽいイメージがあったけれど、日本では銀座の中央通りに面したスタイリッシュなイメージのビルにあった。


なんだか象徴的だったのは、その途中のあるプラダには誰も客が入っておらずひっそり。

でも、H&Mに似たブランド、スペインのZARAにはたくさんの人が。



そういえば、こないだH&M上陸に関して、ユニクロの社長がインタビューに答えていた。

「うちはクオリティーで勝負だ!」と。


とはいえ、ユニクロの服がクオリティーが高いとは思えないけれど、フリースとかパジャマなんて1回買えば済んでしまう。でも、流行の服は何度でも欲しくなるのが女心。

そうすると、回転数から考えると日本ではかなり有望である。


ユニクロは日本ではすでに700店舗以上の飽和状態、H&Mはこれからという感じがしますね。



一昔前は高いブランドがもてはやされたけれど、これからそうもいかないでしょう。

そうすると、こういった安くてかわいい服が買えるお店が受けるのもわかります。

木曜日, 9月 11, 2008

文楽 - 狐火と猿廻し




9月の文楽公演を見に行った。


今回の演目は、「近頃河原の達引」と「本朝廿四孝」から「十種香の段」と「奥庭狐火の段」だった。


住太夫さんは近頃河原~の猿廻しの段に登場された。




今回は面白いことに近頃~のほうには、2匹のおサルたち、奥庭狐火~のほうにはきつねさんたちが出てきたので動物シリーズといった感じ。





近頃河原~のお話は、横恋慕の末に難癖つけられた相手を殺してしまった旦那と遊女が心中せずに、親の助言である「何があっても生き延びて~」という思いを胸に旅立っていく。その二人を、遊女の兄である猿廻しの与次郎とサル達が踊って見送るというもの。





あらすじを聞くと無茶苦茶だけれど、昔ならこんな理由で人情沙汰もあったんだろうと思う。


切捨て御免なんていう制度もあったわけだし。



解説を見ると、実際の話があり、それによると二人は実は心中したようである。


そこを人形浄瑠璃では、大事な親の忠告を守り、二人を生かして旅立たせ、最後は楽しい猿廻しで締め括るわけである。ただし、次の段では心中するのかもしれないが・・・





浄瑠璃のネタも当時の週刊誌ネタか過去のヒーローものが多い。実際にあった話を脚色するわけだ。
そういう話が一番、町人には面白いし人気があったのだろう。





最後に二人の門出を祝うおサルが2匹出てくるのだが、一人の人形使いの2匹を操る。


これがなかなか、軽妙というか右、左、上、下と両手で使い分けるのだから、大変な技がいると思ったが、見ていてかわいらしい。









「本朝廿四孝」は、謙信と信玄の争いの中でお話だが、謙信の娘、八重垣姫と信玄の息子勝頼のラブストーリーを中心に進んでいく。面白いのは一度も会ったことがなく、許婚といわれた勝頼の絵姿を毎日見ている八重垣姫が、死んだと思った勝頼そっくりの花師に会い、(実は死んだのは偽者で本当の勝頼)、あなたでもいい、なんて詰め寄る。


でもうすうす、本物ではないか気がつき一途に訴えると、隠し通せない男勝頼は、本物であることを認める。





もともと花師として隠れて謙信の周りを探っていた勝頼を謙信は実は勝頼と見破るが、知らないふりをして「信玄への使いとして、花師である勝頼を登用する。そこで花師としては不釣合いなりっぱな格好が妙に似合っていたので、姫も勝頼と見破ってしまったのだ。死んだと思った許婚が生きていたわけだから、姫は大感激!

幸せもつかの間、使いとして旅立ってしまう勝頼。




でも、謙信の謀略を知り、彼を殺そうとする追手が近づいていることを知らせるために、諏訪大明神に頼む。


すると、その使いとしての狐が現れて、姫を助けて遠い道のりを知らせにいくわけである。



姫が願いをかけると狐火といって火の玉がゆらめいたり、なぜか姫が狐のようなしぐさをしたりと怪しい様相になってくる。



ちょうどこの日は、人形使いの五世豊松清十郎の襲名披露の口上があったが、彼の八重垣姫は素晴らしかった。特に場面、場面での彼自身の早代わりがたくさんあり、あっという間に裃と着物の色が変わっていたり、と見せ場の多いものだった。





やはり最後に狐が勢ぞろいするところは圧巻、たくさんの狐に守護されながら氷の張った諏訪湖を渡って知らせにいく。








両親が蓼科に住んでいるので、諏訪湖については親しみ深い。


諏訪湖に氷が張ると神渡り(みわたり)という神事があり、諏訪神社から神様をお連れする神事が行われる。まさにこの場面を思い浮かべ、狐と一緒にわたる八重垣姫を思うのである。


それにしても八重垣姫の思い、女の念はすごいと思う。
もともと会ったことがなく絵姿だけを思い焦がれていた訳だから余計に執念が強くなるというのか、本物に会ったら最後、神を頼り、狐の導きとともに男を助けに行くわけである。

人の思いは何事をも越えることができるのだ ・・・・  ここでは人形さんだけど。