最初の葛城は、苦しんでいる葛城の神を出羽の国から来た山伏が加持祈祷によって救い、最後は喜びの大和舞を待って終わる。
最初は村の女の衣装で出てくる、最後には気高い巫女のような衣装で舞う姿がとても美しい。本当に能の衣装は素敵で、また女の面がまた美しくより女神の踊りのような気がしてくる。神を人間の祈祷で救うとい設定も面白いが、古代の神と人が身近な時代のおとぎ話のような能だった。
その後すぐに狂言が始まる。
シテは野村萬斎。許しなしに外出した太郎冠者を叱ろうと主人と次郎冠者が家に出向くが、居留守を使って断る太郎冠者をいろんな呼び声で誘い出す「呼声」。
最初は普通、次は平家節、そして小唄節、、最後の踊節を使っていいリズムなのでつられて踊り出てしまうという話。やっぱり萬斎の声は素晴らしいと思ったし、とっても楽しいお話なので会場の人も笑い出す。 かたいお能の合間にやはりこのような狂言があるのだろう。
ここでやっと25分の休憩。
最後は、友枝雄人さんの「邯鄲」(かんたん)
中国の蜀の時代の話で、人生に悩んだ青年が、邯鄲の宿で昔仙人にもらったという悟りを開く枕というのを貸してもらう。その夢の中で、王位について酒宴を50年も続け歓喜の舞を踊り・・・と思ったら、目を覚ます。
そこで、すべては夢だったのかと茫然とし、人生何事も一炊の夢と悟りを開く。
人生の栄華がいかにはかないかということを示したお話。
登場人物は多かったが、大半は青年の踊り。
宿の女役の萬斎は最初と最後だけに出るので途中はずっと舞台脇で正座していた。しんどいなあ~なんて思っていたが、彼らにとっては平気なんだろう。
この舞台は、夢と現実が交錯し、宿屋や酒宴という違う設定を限られたの能舞台で表現されるのはすごいと思った。ここに日本のミニマリズムというのか、畳に襖の座敷を思い出す。
何もない置かない部屋、絵は襖絵、唯一の表現は床の間であったりするが、そういうところが共通しているなと感じる。
反対に海外の舞台はすごいな~と思う。オペラを招聘するプロダクションの人の話によると、日本に呼ぶだけで何億のお金がかかるそう。舞台装置から人から楽団から考えるとたくさんの人と物を持ってこなくてはならないからだ。
その点、日本のお能はすごいな~と感心。
みんな扇子と楽器は持参する。舞台道具もたまに小さい台だったり、鐘だったり。それも紙とか竹とかでできていて観客の前に運んできて組み立てるわけだから。
比較文化ということで考えてみるととても面白い。
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