国立劇場に文楽を見に行った。
歌舞伎に移植された出し物がたくさんあったぐらいなので、歌舞伎で見たことがある演目も多い。
初めての文楽。
人形なので小さくて見えないのかなあ?などとどきどきしながらだったけれど、心配することはなかった。
よく文楽ははまる人が多いという話を聞いていたが、どうも私もはまりそうだ。
というのも、今回はある方のご縁で席を手配していただいが、これが義太夫席の唾が飛んでくるんではないかというぐらい迫力の席。
そして、なんとなく先入観からか人形なので小さい舞台と思い込んでいたことが、そんなことはない。
舞台全体を使っての人形の動きには感心した。まさに歌舞伎の舞台と同じなのである。
でも一番心に残ったのは、太夫の浄瑠璃である。
歌舞伎は、登場人物それぞれに役者がおり、それぞれの言葉をしゃべり演じるわけである。
が、文楽はすごい。
太夫がずっと物語(浄瑠璃)を語るのである。
登場人物は多岐にわたる。
それを一人で語り、歌うのである。
そして人形の表情はというと目をつぶるぐらいの動きしかないものに、なぜか太夫の語りに合わせて魂が宿るようである。
なので文楽の主役は太夫であり、太夫の語りが一番大事であると感じた。
そして今回私たちが見た第二部では、最後の「壷坂観音霊験記」のひとつを竹本住大夫さんが語られた。住大夫さんは、文楽界の重鎮、人間国宝である方。
さすがに、出て来られた途端オーラを感じ空気が変わったような気がした。
そして語りが始まった瞬間から、引き込まれるようだった。
義太夫節というのか、人情味溢れる語りと人形も動きぴったりと合う。
舞台は大夫の語り口で決まってしまうのかと感じた。
太夫にはそれぞれ特徴があり、声の高さや語り口も少しずつ違う。
なかには声が大きすぎたり、甲高いばかりが目立つ場合もある。
皆が引き込まれるような語りをするには、何年もの修行と才能がいるのだろう。
今回は素晴らしい計らいがあり、なんと住大夫さんご夫妻を囲んでのディナーに参加することができたのがだが、80歳を越えるお年とは思いえないほど、素顔の住大夫さんは快活でエネルギーに満ち、関西弁で語られる貴重なお話の数々を伺った。
よく人形遣いのほうを見ながら語る太夫がいるが、それはよくない。自分がペースを作っていくものだ
最近は人形使いの人が舞台に上がるときに拍手をする人がいるが、普通はしないもの。
住太夫さんは大学出の太夫だったので、当時では珍しく、甲子園の土を踏んだことがある野球少年だったそう。
などなど・・・
太夫が浄瑠璃を語る最初と最後に、台本を頭の上に掲げ、お上(神様)?に礼を捧げるのが印象的だった。
きっとこれから語る浄瑠璃が素晴らしいものになるような祈りと最後に感謝の礼を捧げるのだろう。
このような作法は日本の伝統文化に流れるとても素晴らしいものだと思う。
太夫が語る浄瑠璃は、情を語る、すなわち心を語ることが大事とされるそう。
まさにその心を感じることが出来た舞台だった。