火曜日, 4月 26, 2011

タケノコ三昧 !!




さて、2回目となるRiko's Kitchen。

今回は旬の「筍」たけのこである。

食材の名前で「旬」が入っているものは筍だけなのだそう。
ってくぐらい、旬に食べるのがいい食材。





今まではなんとなく我流で、米ぬかでゆでて、なんとなく使っていた食材。
でも、今回はきちんと教わる。



掘りたての筍はみずみずしくて、切り口からじんわりと水がしみてくる。

やっぱり掘ったらすぐに食べるのが一番おいしいらしいが、そうもいかないのでなるべく新鮮なものを使う。







今回は掘りたてを長崎から空輸していただいたもの。


初めて知ったのだが、筍には男の子と女の子があるそう。
違いはやっぱり形らしく、ぽってりした下半身の筍は女の子。

これも剥いてみないとわからない。








メニューは筍ご飯と木の芽和え、焼き筍、筍と鳥の煮物。
それにプラス鯛の昆布締めと香菜入りきゅうりと甘夏、セロリの二配酢和え。


りこさん曰く、やはり筍は食感が大事。

















なので、筍ご飯の筍も薄くは切らずにごろごろとダイスに切る。
そして、面白かったのが、ご飯と炊く前に下味をつけるのだが、黒胡椒を入れるところ。

とてもおいしい。

← 筍と鳥の煮物



木の芽和えも、ベースになる玉味噌の作り方を教えていただく。
これを作っておくと、酢味噌にもなるし、なんでも使えるからだ。


このときも筍から水分がたくさん出るので、ペーパータオルで水気を十分にとってから食べる直前に合えないとせっかくの木の芽味噌がからまなくなる。



レッスンも楽しいのだけれど、りこさんのテーブルセッティングとプラスαのお料理がまた素晴らしい。

盛り付け方も勉強になる。










鯛の昆布締めも贅沢に何枚も昆布を使い、おまけに塩昆布と「あまどころ」という春のお野菜を添えて、とっても春らしい。




いろいろと勉強になってけれど、一番おいしいのは焼き筍でしょうか?
採りたての茹でたてを焼いて塩つけて食べる。

マツタケと同じですね~

Bravo!!






あまりにたくさん食べたので、帰りは家まで歩く。



途中、最後の八重桜がきれい。

そして藤の花も!

いい季節ですね~









土曜日, 4月 16, 2011

「もの」を持たない生き方



東北のあの地震から1ヶ月がすぎた。

それからの日々は目まぐるしく、落ち着かない日々が続いた。

被災された方々のことを思うと自分に何ができるのか?
テレビから写しだされる情景を見て涙ぐむことしかできない。
でも、自分にできることをやり、なるべく前と同じ日々の生活をしなくてはと思ってきた。


家族、友人、家、すべてを失ってしまったにもかかわらず、テレビで見る東北の方々は気丈だ。
テレビの取材のものに気遣う姿や明るく振舞う人々は本当に美しいと思った。


地震の後に続くたくさんの余震と原発事故。

いかに自分が無知であったかと感じ、必死に調べるうちに地震についてはもう仕方がないと思うようになった。



大きなプレートが集まるちょうど境目にある日本列島。
そもために火山も多く、古来から何度となく大きな地震を経験してきたのである。

その度にすべてが一掃され、また作りなおされる。

自然災害がくるならば、それに立ち向かおうとして堅牢な石でできた建物を作れば?と思うが、なぜか木と紙でできた家を造る。

ふと、伊勢神宮の遷宮を思い出す。

25年ごとにすべてを打ち壊し、新しいお宮に作りかえる行事。


今回の津波、地震によって、古来から持っている日本人の遺伝子が蘇る。

人、家、物すべてを飲み込んだ。

あっという間になくなってしまう。


聖書にある言葉を思い出す。
「地上に宝を積んではならない」

ずっと心の中にあった言葉である。
持っている「もの」に執着してはいけない。
大事なものは自分の心の中にある。

そう、人と人とのつながりであったり、健康でおいしく毎日のご飯を食べれることだったり、自然の美しさに感動することだったり。

今回のことで大きく意識が変わり、これからの生き方も変わっていくだろう。

「もの」を持たない生き方。

大きくて豪華でお金のかかったものを消費する社会ではなくて、小さくても循環して自然と共存できる社会に変わる時なのかもしれない。

今までずっとそんなメッセージは受け取ってきたような気がする。

自分が金融の世界にいたからこそ、わかるのかもしれない。
お陰でも「もの」持つ経験をたくさんしてきたからわかることなのかもしれない。

今は電子マネーの世界。

お金が動くといっても、コンピューターの中でのこと。
あちらからこちらに数字が動く。

でも、自分自身の身が何か変わるわけではない。

実際に目で見え、ものが動くためのお金でないと意味がない。




日本は小さな循環型社会の先駆者。

そういえば、江戸時代までは長屋の家の中には布団数組と葛篭がひとつ、そしてちゃぶ台ぐらいしかなかったという。畳一間で家族みんなで寝て食べてくつろぐ。

そんな感じでいこうじゃない!と思う


さて、これからは自分にできる準備をして、その時が来たら落ち着いて行動するしかない。

良寛さんが三条の地震で被害に会った友人に宛てた手紙に

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」

災難にあったら、少なくとも心を落ち着けて、向かいましょう。
これはとてもシンプルだけど、これからの行き方のヒントになるのではと
つくづく思う。