金曜日, 4月 25, 2008

春のお散歩 - 花いろいろ

最近は家の近くや町を歩いていると楽しい。
桜の季節も終わると新緑の緑が美しく、様々な花を見ることができる。

注意してみると、街にはいろいろな花が咲き乱れて、まさに春爛漫。




特に桜が散ってしまうと、街路樹として植えられているハナミズキの白、とピンクのが美しい。

今まではあまり意識したことはなかったのだが、街のいたるところで見ることがきる。
そして、建物の際や塀沿いに植えられているつつじ。

赤やピンクや白の花、花。




先日要があり久しぶりに訪れた丸の内。

この辺の変りようには目をみはるものがあるが、丸の内仲通(有楽町から大手町まで抜ける道)の両側は、今や高価なブランドやファッション系のお店が立ち並ぶようになった。
そして歩道もきれいに整備され、オブジェのようにいろいろな花が植えられている。

これらの花は根付いているのではなく、その場その場の切り花のように街を飾る。


とはいえ、花がたくさん飾られるととても華やか。



街歩きのついでに、久しぶりに鈴木玄太さんというガラスの工芸作家の作品展を見に行った。

作品展は、銀座の並木通りにある「エポカ」という女性ブランドのビルの地下にある「日々」という陶芸のギャラリーである。


玄太さんとは3年ぶりぐらいだろうか?
京都出身の方なのだがヨーロッパで修行され、現在は富山の福光に工房を持ち作品を作っている。
作品のほうもますます磨きがかかり、素晴らしいものがたくさんあった。



彼のガラスは日常使える杯やグラス、小鉢や大皿、特に曲線の美しい花瓶が目立った。
壁にかける花瓶は、ガラスなので、活ける植物の茎や根を見ることができる楽しみがある
またガラスを通して後ろの壁の色を見ることができる。
これはまた土モノとはまったく違う風合いで面白い。

私はというと、花瓶とずいぶん迷ったけれど、結局飲めます!という感じで、ワイングラスとぐい飲みを購入。

ぐい飲みは玄太さん得意のつぶつぶがついているもの。

これで冷酒を飲んだらおいしそうである。


初夏を感じさせる美しい作品ばかり。


Genta Glass

木曜日, 4月 10, 2008

春の京都

春の京都に行った。



目的は、裏千家家元の茶室今日庵で毎年3月28日に執り行われる「利休忌」に参加するため。



今年は暖かい日が続いたせいか、全国的に桜の開花が早いようで、京都の桜も5分咲きの装い。
柳の緑とピンクの桜のコントラストが美しい。



利休忌の前日に京都に入る。


せっかくなのでタクシーの運転手さんと相談して、桜の咲いているところを回った。
とくに平日だったので、いつもは混んでいる嵐山のほうも行ってみた。


平野神社ー龍安寺ー大覚寺ー天龍寺ー渡月橋と回るともう夕方になっていたが、桜だけではなくこぶしや黄色のさんしゅゆ、レンギョウ、紫のみつばつつじなど、春の花をたくさん楽しむことができた。




この日のディナーは、先生がご贔屓にしている、牛肉懐石の「いっしん」を訪れた。


場所は祇園、白川近くの町屋にあるお店なので、風情もあり素敵なところだった。
牛肉は近江牛を使っており、全部の皿に牛肉が入る。
とはいえ、一品一品懐石風で出され、器も素敵である。


少量ずつとはいえ、かなりの品数があり、最後はお茶漬けにも牛肉は入っていたのには驚き。



白川沿いの桜は街中にあるせいか、満開だった。



翌日は利休忌出席のため、朝5時に起きて着物を着る。
朝食を取ってから到着は8時半ごろだっただろうか。

こんなに早く行ってもすでに人でいっぱい。

大きな行事でもあるので全国から同門の方々が来るからだ。
いつも思うことなのだが、ほんとうにお茶の方々は朝が早い。
さっと着物が着れる人は、早起きしてすぐに出かけられるのだろう。


私の場合、いつも遅めになってしまう。


お茶席は3席あるのだが、メインは利休居士のお軸とお供えがしてある咄々斎(とつとつさい)というお部屋を伺うことである。そちらでは家元と大宗匠、業躰(ぎょうてい:裏千家での先生の呼称)の方々がいらっしゃるので、そちらでお話を伺いながら茶歌舞伎などのお点前を拝見するのである。

特にこの咄々斎を含め、今日庵は重要文化財の指定を受けているほどの古い、歴史的な建物なので、そちらに伺うだけでも価値のあることである。


もちろん一度に入れる人数は限られているので、待ち時間も長い。


でも、その古く、暗い廊下での待ち時間も、障子から指す淡い光の中で鳴き始めの鶯の声を聞いているとなんだかぼんやりと心も穏やかになってくる。


まさに谷崎潤一郎の「陰影礼賛」の世界である。



私の大好きな世界。


私の部屋は大体、ぼんやりしたライトしかつけない。
真っ白で明るくてすべてが見えてるはっきた世界よりも、淡く柔らかな薄暗い世界のほうが好き。


3つのお茶席を回り、すべてを終了したのが2時半過ぎだっただろうか。


実はその後3時から、茶懐石の名店、瓢亭を予約していたので、急いで向かう。

ちょうど皆着物を着ているし、先生とご一緒しているので、とてもよい機会になった。


瓢亭はすべてお部屋が離れになっていて、庭を眺めることができる。


こちらも陰影礼賛である。
夜ではなく、昼だったから、障子を通しての光の漏れ具合が美しいのだ。


もちろんお料理も、器も素晴らしいものだった。


明石のたいのお造りに始まり、白味噌にぜんまい、蓬餅の汁。
有名な半熟卵に、竹の子と飯蛸の焚き合わせ。
さわらの焼き物、油目の煮物碗に最後は竹の子ご飯と春づくしのお料理を満喫。



すばらしい一時だった。




翌日はゆっくり起きて奈良に向かった。

春の特別公開にちょうど遭遇したので、法華寺の十一面観音を見に行くためだ。


こちらの観音様は、蓮の光背が珍しい、小さめの美しいお顔の観音様だ。






観音様を拝んだ後は、春のお庭を満喫した。

というのは、法華寺にはすばらしい花園があり、春の花々が沢山植えられていたから。




桜、もも、ぼけ、さんしゅゆ、こぶし、とさみずき、寒緋桜、つばき、れんぎょう、みつばつつじ etc.


数え切れないほどの花が咲き乱れているので、もちろんそれを啄ばみにくる鳥たちも沢山いた。



まさに春の花園であった。

そこで、今日庵で見たひとつのお軸を思い出す。

大宗匠とそのお母様と奥様で書き分けられたという短冊。


柳は緑、花は紅。


これは禅語だそうだが、春の情景を表した言葉である。

春の花々は自然の営みにすべてをゆだね、一瞬一瞬をあるがままで生きている。柳は緑、花は紅、あるがままに生きながら、それが限りなく輝いている境地。

人はいろいろな点で他人と比較して、思い悩むことが多いが、他人と比較せず自分のあるがままを受け入れたときに、自然の生命のひとつとして輝くことができる。


柳はみどりだし、花はくれない、人は人、自分は自分。


色とりどりに咲く美しい春の情景を思うと、自分もその一部になりたいと思う。
もちろん自分らしく生きることで。


まさにこの情景を表す春の園を見たような気がした。