木曜日, 10月 18, 2007

インド旅行記 - ジャイプール編


翌日はジャイプールに向けて出発。
デリージャイプール間は車で5時間ぐらいの距離だということだったが、なんと8時間もかかってしまった。





いろいろ理由はある。

まずは、インドの交通事情。

空港から出るときから感じたものだが、まず駐車場もどうやって出るんだろうというぐらいむちゃくちゃに駐車している。駐車スペースを決める線は引いてあるが関係ない。車の前に二重三重と駐車しているので、出るときが困る。人づてに前に駐車している運転手を誰かが探してくれるのだろうか?車を押してどかしている人もいた。



そして道路はもっとすごい。

車線は一応引いてあるけど関係ない。
3車線のところはだいたい5車線ぐらいになって乗用車、トラック、オートリクシャーという3輪バイクのタクシーが入り乱れて走る。そしてたまに道路を渡る人がすぐ横にいたりしてびっくりさせられる。危ないなと思いながらも信号や横断歩道があまりないので仕方がないのだろう。そして路側帯には牛が寝そべっている。

ちなみにインドでは自転車でひく自転車リクシャーとバイクのオートリクシャーがたくさん止まっている。リクシャーというのはリキシャ、人力車から来たそうで日本からもたらされたものだそう。人力は今はないが、ベトナムだと自転車のシクロやタイのトゥクトゥクなどアジアでは健在である。

日本が語源とは知らなかった。


あるとき車にサイドミラーがないことに気付く。


えー??と思ったが、確かに痕跡はあるのだが取り外しているか(接触して取れてしまったのか)、もともとない車が実に多い。最近は景気がいいので新しい日本車にはさすがについていたけれど、どうもサイドミラーで確認する習慣がないように思われる。

なので、あのうるさいクラクションを鳴らす。


鳴らして鳴らして前の車をどかすのがインドの交通マナーのよう。
日本ではクラクション使うときなんてほとんどないのに。

とくに大きなトラックの後ろには必ず「BLOW HORN」と書いてある。

近づいてきてもわかんないから、鳴らしてねというのとトラック野郎に対する景気づけか?日本のトラック野郎みたいに車内をきれいに飾っている人もいたし、大体ヒンドゥーの神様のお守りをつけていた。
その辺は日本も同じだけど、神様に守ってもらわないとこの激しいインド道路事情では生き残るのも大変だ。




デリーの中心から外に出るのに2時間ほどかかってしまう。
途中の道の悪いところや急ブレーキなので、日本車に乗っているはずなのに少し酔ってしまった。でも、中心部を抜けると後はハイウェイのような広い道に出た。



この辺からデリー郊外のIT都市&マンション建設ラッシュみたいな景観が広がってくる。この様子を見るとインド経済の上昇振りが窺える。デリーの街中の喧騒とは違う明らかに新興都市のような気配がむんむんする。



それも過ぎると今度は田舎の草原地帯が続き、だんだんサバンナの様相を呈してくる。
というのは、インドの中でも北西部の砂漠地帯に属するからだ。


ジャイプールはラジャスターン州の州都。古くから商業の中心でこの町を通過しないとインド全土には行けなかったというぐらいだから、この町のマハラジャはたいそうお金持ちだったそうだ。

そして商業の中心ということは素晴らしい工芸品がもたらされ作られたところである。
今でも職人達の昔ながらの方法で作られた工芸品、更紗であったり、細密画であったり、織物であったり、いろいろ芸術品を目にすることができるのである。
また近郊の土が赤いからなのか、城壁や建物がピンク色なのでピンクシティとも呼ばれる。



ジャイプールが近づくにつれ、動物を見る機会も多くなった。
らくだ、馬、ろばが荷を引いている。サルやヤギ、水牛がいる。
もちろん牛はたくさんいた。
牝牛はミルクが取れるので神聖視されているが、基本的には放し飼いなのでとても痩せている。雄牛のほうは、荷を引かされていた。





お昼はチャダさんのお陰で、地元のトラック野郎が使っている食堂で食べることができた。


チャダさんがいろいろと指示して出来上がったカレーは、とってもおいしかった。日本人だけだとなかなかはいれそうにない店だったし、コストパフォーマンスはばっちり。


オープンキッチン(!)だったので料理の仕方も見ることができたので満足。
あとから考えると、この時食べたカレーがインド滞在中のベストだったかもしれない。





ジャイプールに近づくにつれ、夕闇が迫る。
乾いた大地の中に色鮮やかなサリーを着た女性達の姿が映える。
夕焼けが映りとてもきれいだ。


ジャイプール到着までになんと8時間かかってしまった。

交通事情もあったがデリー出身の運転手くんたちは、ジャイプールを知らない。
不思議なのだが、インドでは地図や道標みたいなものがないようだ。
なので、行く先々で彼らは道を聞く。
走っている車を止めたりするのも平気。
そして聞かれたほうも本当に親切に道を教えてくれる。(但し知っている範囲で)
普通一度か二度聞いたらわかりそうなものだが、なかなか理解できないらしく結構道に迷ったりした。

そして最後は、ホテルの直前にあった踏み切り。


通常の踏み切り待ちと思いきやなかなか時間がかかる。
そうこうしているうちにどんどん人が集まってくる。
それでもいっこうに動く気配はない。
30分ぐらい待っただろうか。やっと原因が判明し、どうも貨物列車が故障して線路で止まっているらしいということだった。

そこでまた親切な人についていって、線路をまたぐ橋を通って無事ホテルに到着したのだが、まだ待っている人はたくさんいた。とってもインドらしいというのか、近くに別のルートがあるのに気長に待っているのには恐れ入る。





ということで、11時にデリーを出発してホテル、ロハルハウスに到着したのは19時過ぎだった。ここはホテルというよりお屋敷で、イスラムの上流家庭の家に滞在できるようになっている感じ。
インドのハイソな方がお忍びで使うらしいが、すばらしいお屋敷だった。ここのオーナーはムスリムでとても由緒正しい古い家柄の方でなんと祖先はサマルカンドから来たということだった。感じもよくとってもハンサムで素敵だ。


この日はお屋敷でのディナーだったが、今回のカレーはムスリム風。チキンや魚などのお肉も入っていた。デリーでのカレーはほとんどお肉が入ってなく、ベジタブルだったから新鮮。もちろんアルコールは禁止だ。デザートはパンプディングみたいなものが出たが、なぜか銀箔が貼ってある。

インドでは銀箔をお菓子に貼ると高級になるのかな??


それにしてもこの一日は長くて激しい1日。
ほとんど車に乗っていたのに・・・

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