火曜日, 4月 10, 2007
春の野辺 蓮華の咲く奈良
翌日は奈良を回るために橿原神宮に1泊した。
大阪の天王寺からは40分ほどで行ける。
今回は奈良でも特に仏像にフォーカスして、聖林寺、当麻寺、新薬師寺を訪れる予定だ。
昨晩は激しい雷鳴と雨でどうなるかと思ったが、よい天気になり春らしいぽかぽか陽気になった。
まずは橿原神宮から電車で聖林寺に向かう。
最寄の駅は桜井でそこからバスで8分ぐらい。
聖林寺の終点は藤原氏ゆかり談山神社。
こちらは秋の紅葉にとっておこう。
バス停から聖林寺までの道のりは、ほんとにのどかな風景でれんげやたんぽぽが咲いている。
もちろん桜も5分から7分咲きだろうか。レンギョウの黄色と薄いピンクできれいだ。
ほんとに田舎だからかほとんど訪ねる人もほとんどいない。
まずは本堂のご本尊を見る。
そこには巨大な地蔵菩薩があった。
なるほど、「見仏記」のいとうせいこうによるとすごい迫力の石仏がいると言っていた。
巨大なだけではなく、白い色に少しお化粧をしているような色がついているから何か違和感を覚える。
ここのお目当てはもちろん国宝の十一面観音である。
この仏は本堂から渡り階段で上がった少し離れたところにおられた。
確かに和辻哲郎がべた褒めしたと言われているその仏は、とても美しい。
ガラスの向こうに安置されていたが、真近で見ることがきる。
しっかりした肉付きで、金箔もきれいに残っていた。
この後また近鉄に乗って当麻寺に向かった。
駅から15分ほど歩いたが、春の道のりを歩くのはぜんぜん苦にならない。
この辺には古い家がたくさん残っていて、その建物を見るのも楽しい。
当麻寺は二上山のふもとにある歴史も古い大きなお寺である。
東と西に塔があり、本堂を含め国宝と重要文化財のオンパレードである。
なんといってもここの目玉は、中将姫が蓮の糸を使って一晩で織り上げたという曼荼羅を見ることができる。(本物は宝物館にあり、ここには後で作られた転写を拝見することができるが、これもまた古くてりっぱなもの)
中将姫の伝説はいろいろなものがあるが、民族学者の折口信夫が書き上げた小説「死者の書」にある話はロマンチックである。中将姫が二上山の雄岳、雌岳の間に見た阿弥陀を暗殺された大津皇子の霊とみたて、南家の郎女中将姫と心を通い合わせ、曼荼羅を一晩で織り上げるという話にしている。
↓よいコラムがありました。
「荘厳な人の俤」を見る…二上山
http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pickup/20060516bk02.htm
曼荼羅も素敵だったけど、やっぱり私は金堂にある弥勒仏とその回りの四天王が素敵だった。
いかにも頼れそう~といった感じの四天王像は異国風のがっちりした像だった。
駅の待ち時間の間に駅前にある中将餅本舗で中将餅をいただく。
赤福みたいなお餅だけど、中がヨモギもちでてとても香りがよくおいしい。
そして近鉄で奈良に向かった。
とはいえ、14時半ぐらいにはなっていただろか。
急いで新薬師寺に行く。
新薬師寺は、7年ほど前に行ったときからまた行きたいと願っていたところだ。
奈良の中心からは離れていてかなり辺鄙なところにある小さなお寺。
バス停からは住宅地を歩いて10分くらい。
この辺も土壁が残っていたり、桜が咲いていたり、うぐいすが鳴いていたりと風流なところ。
新薬師寺には大きな薬師如来とそれを守る十二神将が有名。
躍動感のある素晴らしい像たちが薬師如来を囲んでいてぐるっと回ることができる。
それぞれの大将は十二支の守り神になっている。
私の干支酉を守っているのはメイキラをいう大将。
なんだか片足をあげてヨガのポーズ風でかっこいい。
でもやっぱり私はバサラが好きかな~
バサラは妹の干支戌の守り神だった。
そして今回、もうひとつここで見たかったのが「おたま地蔵尊」
なんでも、男性のシンボルがついている地蔵尊で、体内からもうひとつ仏様が出てきたそうである。
残念ながら係りの人が帰ってしまったということで見ることはできなかった。
まあ、いっか。
また行けばいいんだから・・・
ということで、夕暮れになってしまった。
東大寺の戒壇院に行ければと思っていたがちょっと無理。
奈良の友人に教えてもらった、駅前の湖月というお菓子やさんの半径20センチはあろう大きなどら焼き(三笠饅頭)を買って、今晩の宿である大津に向かった。
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