土曜日, 3月 24, 2007

コメットハンター

木内鶴彦さんという方の講演会に行った。友人が以前から興味があった人なので一緒に行かないか?ということである。

木内さんはコメットハンター(彗星探索家)であり臨死体験者というおもしろい経歴をお持ちの方だ。
1862年に一度発見されたスイフト・タットル彗星を1992年に再発見したそうだが、2126年に再び地球に再接近したときに衝突する可能性が高いということがわかった。それを回避するにははるか遠くで核ミサイルを爆発をさせて進路を2度だけずらすことができる。そのために宇宙ステーションの建設を提案したそうだ。このことが映画「ディープインパクト」や「アルマゲドン」のモデルとなった。

彗星を探索する以前は自衛隊の管制官として働いていたそうだが、23歳のときに原因不明の病に倒れ余命1週間と宣告される。そして1週間の後に30分の臨死体験を経験して見事生き返ったそうである。臨死体験というよりは死亡体験とおっしゃっていた。というのは脳も停止していたから。


心臓も脳派も停止した後の世界。

意識と視覚、聴覚ははっきりしていたそう。

なので自分の体を外上から眺めていた。父や母が言っていることもよくわかった。でも自分が言っていることは通じない。そうこうしているうちに兄はどうしているだろう?と思った途端、車に乗って病院に向かってい兄の側にいた。こんな体験から、思ったところに自分の意識が瞬間移動することがわかった。

場所も時間も越えて意識は動くことがわかった木内さんは、宇宙の始まりが気になった。というのも星が好きで物理を研究している青年だったから。


と思った瞬間宇宙の始まりを見た。


始まりはビッグバンではなく、膨大な意識の中にひとつの「ひずみ」が生じたからだそうだ。

その「ひずみ」が瞬間に解消に向かう動きこそが宇宙エネルギーの流れを作り、3次元という時間と空間に支配されている世界を作ったそう。

そして、太古の昔には月はなかったそうである。月は地球にむかったやってきた氷を持った彗星。太陽に近づいたときに大量の水蒸気を発生させたまま地球に近づき、地球に大洪水を発生させた。そこで地球の生態系がまったく変わったそうである。それ以降月の影響を受けることになる。


どの文明にも洪水の物語があるので、そんなことがおこった気がする。


そして未来の地球も見た。なぜか二つのバージョンを見たそうだ。ひとつは緑の中で子供達に星のことを教えている自分ともうひとつは砂漠の中で呆然としている自分をみた。


これは今のやり方次第でどちらの運命も選択できるということに気付かされたそう。そして、現在ごみ処理の研究やお金に振り回されない循環型の社会の構築を目指して活動している。人間も地球の中のサイクルの一部であるという自覚。お金に振り回されないで生きていくために農業を中心とした循環型社会を作っていく。


ごみ処理の方法は頭が痛いところだが、太陽エネルギーを利用しゴミを分解し、そこでできた炭素を利用して乾電池を作りそれをエネルギーとして利用できるのではという研究をかなり進めているそうである。ごみ問題と新エネルギーを同時に解決するシステム。


まさに地球にある資源を使わないで外にあるもの、熱のをもっている太陽を利用するわけだ。実現したらとても画期的なことである。
地球の争いの大多数は地球にあるエネルギー資源をめぐっての戦争であったりする。石油でもなく、原子力でもないエネルギーを使えればすばらしいこと。
ただ気をつけなければならないのは、企業に利用されるとその場主義、企業の収益さえ向上させればいいという考え方に終始するとまた争いのもとになってしまう懸念がある。


また今アル・ゴアの映画「不都合な真実」などで言われている温暖化の問題。二酸化炭素の排出だけが問題視されているのも疑問である。

それよりも深刻なものに光害(ひかりがい)というのがあるそう。それは夜も明るいことにより、植物がストレスを感じて枯れていくそうだ。植物だって眠りたい。
植物が枯れるとどうなるかというと、もちろん酸素がなくなって人間は生きていけなくなる。こんな事態はどうやっても避けるべきである。確かに必要もないのに電気をつける。きれいだからライトアップする。大都市にいると暗いときなんてない。
でも夜は眠るもの。必要最低限の街灯があればいいのだから。

こんなことを聞くと地球の未来が見えてくる。今差し迫った危機である。



木内さんは臨死体験以後、自由に意識を飛ばして過去、未来へ時空を超えて行けるようになった。おもしろいのは自分が行った過去がほんとうなのかと思い、あるとき神社に落書きをしたそう。そして、現在その神社に行ったらあったそうだ。自分の書いた落書きが。「つる」と書いた落書きが土佐神社にあるそうだ。

地球生態系が維持される環境共生型の産業構造と経済システムを研究している木内さんの本





とても突飛といえば突飛な体験なので、信じる信じないはあるが、今地球が抱えている問題を意識すべきであるし、一人一人の意識変革が必要だ。

このまま放置しておくと暗い地球の未来を見せてくれたが、同時に今やれることもある。


地球にある資源を使わないでエネルギーを作り、消費、処理、再生できるようになったら素晴らしいことだと思う。人間も大きな生態系の一部であるという自覚を持ち、地球全体で物事を考えていかなくてはならない。


金曜日, 3月 23, 2007

卒業式

今日我が母校(大学)の後輩と話す機会があった。
先日卒業したばかりのほやほやの卒業生。

私が卒業した大学は、カトリックの女子大。
人数は大体400ちょいぐらいだから、かなり少ない。

おかげでアメリカの大学みたいにガウンと帽子をかぶらせてくれる。
これって日本の大学はあんまりないみたい。

ちなみに私の会社のパートナーが、今年めでたく一橋の大学院を卒業したが、もちろんガウンなんてないらしい。早稲田なんて学生証と引き換えに卒業証書を手渡すそう。

なんだかね。マンモス大学だからしょうがないか。

ちなみに謝恩会はどこでやったの?と聞いたところ、六本木のグランドハイアットだそうだ。
すっごーい!

想像したら笑ってしまった・・・

というのは、うちの大学は式のときだけは着ろっていう制服がある。
何十年も変らないねずみ色の地味な制服。
これを謝恩会のときには着なくてはならない。

グランドハイアットのバンケットをうろうろする制服の女の子。
本当は着飾りたいところだよね。

私たちの時は赤プリの一番大きいバンケットだった。
まあ、ここならいいか・・と差をつけるのもなんだけど。


その後輩ちゃんは、アメリカの学生みたいに帽子を投げようとしたら、すごい迫力でシスターに叱られたそう。毎年使うものだからだろうね。


明日は会社のパートナーの卒業式。
「卒業おめでとう!」

木曜日, 3月 15, 2007

前世の記憶

前世がわかるという方とお話をすることができた。
私の備忘録として書いておこうと思う。

不思議に思う方もいるかもしれないが、私は前世、魂の生まれ変わりを信じている。



私は生まれ変わりが少なくて100回ぐらい。
多い人はもっと多くて500回だったり・・・
比べようがないので、聞いたことをメモる。

男の人としての人生が多かった。

私の始まりはなんと、地球外から来ているらしい。
魂の遍歴の始まりが地球の外だという。

なんだか、エドガーケイシーのアカシックレコードみたい。
でも大いなる大宇宙のなかのひとつというような気がしてうれしい。

金星なのかしら・・・?

そういえばちょっと違うけど、ジョン・グレイの本、Men are form Mars, Women are from Venus にもあったな。もともと男と女は違う星から来たんだから、わかりあうのって大変!っていう本。



古代日本、弥生時代よりも前に通訳のような、人と人を繋げるような仕事をしていた。

エジプトでは哲学者というか思想家のような立場で、銅版の解読等していた。というのは他の人とは違う思考回路を持っていたために、いろいろな解釈をしたり、思想グループを作っていた。

イタリア、ギリシアにもいたことがあるが、大体日本と地中海沿岸地域の国にいたそう。

以前別の人からもかつてはユダヤ人だったことがあると言われたことがある。


こういうことを聞くと、今ある自分というのは前世からの記憶というのか潜在意識というものをもっていて少なからず現在の思考に影響しているのだということを感じる。

私は、歴史、自然、哲学・宗教に興味があり、以前からユダヤ人の歴史に興味を持っていた。
そして日本の神社、山岳、自然が好きで最近はよく出かける。
そのただ中にいるとなぜか落ち着く。一人でも怖くない。

そしてとても太陽の光が大好き。
光の当たる景色。きらきら光る水辺であったり、太陽をいぱい浴びた野菜。
それらを見てると幸せになってくる。旅行はだんぜん、イタリア、フランスが大好きである。

もちろんイタリアンと和食が好き!

今は新しい人と出会うことが好き。
素敵な出会いと楽しい経験があるとそれを他の人に繋げていく。
それを広げていくととても幸せな輪ができていく。


今の自分を形作っているものが、連綿と受け継がれてきたものかと思うと愛おしくもなるし、大事にして今生で何をするのかということに責任を感じてくる。

日曜日, 3月 11, 2007

ナルニア国の街灯

今日は朝から雨風の寒い日で、春の嵐というのか。
でも午後からはすっきり晴れて青空が見えた。

私の両親がいる蓼科では・・・・・

今朝目を覚ますとそこはナルニア国だったそう。


というのは、

蓼科の家のテラスに、私の父はナルニアの街灯目指して去年、街灯のようなものを建てた。
なかなかイメージ通りのものがみつからなかったので、部分的にいろいろと工夫してそれなりのかわいいものができたけど、イメージどおりの背景に今年はならなかった。


暖冬のせいか蓼科も雪が少ないからだ。


でも今朝起きると積雪20センチ。
まさにナルニア国に迷い込んだよう・・・



お父さん!

よかったね~


木曜日, 3月 08, 2007

天竺楽園


先日、友人主宰のパーティがあったのでお手伝いに行った。




私の過去のブログの中で一番の輝かしい思い出でもある、ダライ・ラマ法王にお会いする機会を作っていただいた写真家の松本榮一さんとパートナーである私の友人のわだちゃんがこれからインドサロン「天竺楽園」を自宅を利用して年に数回開催したいとのこと。

今回はその前座というかプレサロンというのか。


松本さんご自慢の手作りインドカレーをいただきながら、ダライ・ラマ法王の本「思いやり」についての解説と松本さん自身の経験や思い出を話してもらうという流れである。

そもそも、チベット、インドに縁の深いこの二人がサロンを始めようとしたきっかけとは?


本当に興味をもって行動力のある人は、たぶんインドに旅立ったりできるのだろうけど、まだその一歩手前の人。

「なんとなくインドってどんなんだろう?」

「最近投資の世界でよく聞かれるBRICSのひとつだよねえ」

「チベット密教って何??」

「今度インドに旅行に行くんだけど、どういうところ?」


なんて漠然と思ったままの人たちに、インドについて語りましょう!という会である。


さすがインド通の二人。
カレーやマサラティーを飲みながら、ゆるゆると時間を過ごす。


日本では考えられないような時間の流れや考え、歴史、文化、宗教・・・etc


そんなことをみんなで話す場にしたいそう。
なんだか楽しそう~



今回はわだちゃんが知り合った、ジュネさんという方が主宰する「ジュネの部屋」から募集をしてもらったところ、32名もの人が集まった。

もちろんジュネさんとの会を楽しみにしている方々も多いが、インド、チベットに興味のある人がこんなにいるとは。


みな、こういうサロンを求めていたのかもしれない。
どんな視点からでもいい。


興味のある人は、天竺楽園へGO!



~現在「天竺楽園」についての情報をアップするべく製作中!

ですが、松本さんはついこの間インドに旅立ちました。きっとお帰りになる4月中旬以降に、新しい情報を携えてサロンを開催することと思います。

お楽しみに ~


追加情報:


サロンが開催される新浦安には私の大好きな温泉もあります。
サロンに行く前にひとっ風呂浴びる!こともできます。
でもひとっ風呂じゃあ、もったいないぐらい大きな温泉。
いろんな種類の浴衣を貸してくるので、江戸時代にタイムスリップした気分。


湯巡り万華郷
http://www.yumegurimangekyo.com/

木曜日, 3月 01, 2007

春のにおい


歩いているとどこからか甘いにおい。
沈丁花のとろけるような春の甘いにおい。

もう春はすぐそこにある。


とはいうものの、今年は暖冬で暖かかったし、お天気の日が多かった。

先々週に麹町までクッキーを取りに行ったときもすでに桜が咲いてたっけ。


そうそう、このクッキーは昨年12月に注文してやっと受け取れたという代物。
村上開新堂という明治7年創業の老舗の洋菓子店のクッキーなのだが、これがとても素朴でおいしいクッキーなのだ。創業のころから伝わる焼き方で丁寧に作られたクッキー。

そしてなぜ注文してからこんなに時間がかかるかというと、まず職人が少なくてひとつずつ手作りしているから。またこのクッキー、紹介がないと買えないし、お店に行ったらインターホンで名前を言ってから中に入れてくれる。

なかなかもったいぶっている。

もちろんお値段も一番小さいので5800円。
人によって価値観が違うだろうから、こんなに待たされてとっても小さいのにこの値段・・・

でも私は価値があると思う。


パッケージは紅白の紐で結ばれたピンクの缶に入っていて、缶を開けたときのにおい。

とっても香ばしい幸福なにおいがする。
中のクッキーは私が何度か購入してのことだが、いつも同じ場所に同じものが整列して入っており、取り出せないぐらいきっちり入っていてこれを眺めるのもおもしろい。



昔から続く老舗のお菓子やさんの知恵というか、こういうビジネスモデルっていいのかもしれない。

あまりにもいろんな店があり、情報が溢れる世界で生き残るには、こういった特異なサービスと味を守り続けることでお客さんも通い続けることができる。



京都にも村上開新堂がある。

東京の店とどういうつながりがあるのかわからないが、こちらは明治37年創業。
京都は紹介がなくても買えるが、クッキーは注文してあとで送ってくれる。
好事福盧(こうずぶくろ)というみかんゼリーが有名。


みかんといえば、以前屋久島を訪れたときに初めて食べた「たんかん」
これがほんとにおいしくて、みかんとオレンジをかけたようなさわやかな味が特徴。


まず関東で普通の店先では買えないので、屋久島のたんかんを注文した。
今年は天候がよくなかったとかで出荷量が少ないらしく、2月始めの第一弾は売り切れ。

2月後半のものを予約したらようやく先日送られてきた。


味もおいしいけど、皮をむいているときから香るいい香り。
南国の春のにおいがした。









金曜日, 2月 23, 2007

Happy Birthday Party


?回目の誕生日。

今回はプレバースデーと本バースデーパーティを友人たちが企画してくれた。




まずはプレパーティ。

お懐石を習っている素敵な先輩がいるのだが、彼女が自宅で鍋パーティをしてくれるということになった。以前から彼女について築地に行きたいと思っていたのが、ついに買出しにお付き合いさせてもらえることになったわけである。


初めての築地なのでどきどきだったけど、彼女がよく買いに行くというので後をついて行く。

9時ごろだったと思うがまだ活気がある。
みな早足で歩くので、ぶつからないように必死について行く。



この日の買い物としてふぐとえび、白子を購入。
彼女は常連さんなので、「毎度~」とか言われていてかっこいい。

私は次の日のパーティで使うために活きのいい鯛を1匹購入。

あとはからすみとちりめんじゃこ。
1キロではなくて500グラムでも売ってくれるので有難いし、市価よりもかなり安い。


場外では彼女がいつも買うという鰹節とお野菜を買った後で、「南ばら亭」というところで親子丼を食べた。甘めのダシでとてもおいしい。


自分の性格だと思うけど、新鮮な食材に囲まれて食べ物の話とかしてるだけでなんだか幸せ。


この日は彼女の家でプレバースデー。


もちろん食事はてっちりとてっさに加えて、彼女の作ると~ってもおいしいお料理が並ぶ。

ほんとにどこの料亭で食べているのかと間違えるほどおいしい。

自家製の胡麻豆腐や白和え、絶品は白子の茶碗蒸し。おだしがはってあって美味。


こちらは会社にあった屋久島の芋焼酎「三岳」を持参。(小さな酒蔵なのでなかなか手に入らない)


鷺沼のかわいいケーキと本郷の「いちごシャンテ」とかいうきのこの形、実は中にイチゴが入っているというお菓子をいただいて、make a wishをする。


とってもhappyな一時。



そういえば、翌日の鯛を1匹購入したものの、うちには出刃包丁がないので、彼女に頭を落としてもらい、内臓の処理をしてもらった。

酔っ払っていい気持ちだったのにすみません!でも翌日とても楽でした。


とはいえ、うちにある包丁は有次の文化包丁。

あまり研いでいなかったので、四苦八苦したがなんとか捌くことができた。
表の背の部分は今晩のカルパッチョに使う。


今晩の本パーティも友達の家だ。

今度は忙しい友達ばかりだったので自分で料理をする。

鯛のカルパッチョに築地で仕入れたフルーツトマト、白アスパラ、田芹のサラダ。
それにアンチョビと菜の花のパスタに牛すねの煮込みのリガトーニ。
ワインとフェルミエのチーズにケーキはキルフェボンのホールを友達が買ってきてくれた。


キルフェボンといえばいつも女の子たちでいっぱいのお店。
ホールでは見たことがなかったので感激。そしてまたまたmake a wish。

自分はなんて幸せなんだ!と思う。
友人に囲まれて、おいしい料理をいただいて、2回も願い事をした。
(2回といっても同じ内容だからいいよね)



翌日は鯛飯とあら炊きと潮汁を作った。
ほんとうにあまくて油がのっていておいしい鯛だった。
鯛ってあますとこなく使えて自宅でこんなにおいしくいただけるとは思わなかった。

1匹買うことでいろいろと楽しめるわけだ。

でも、調理する出刃包丁もいるし、捌く技術も必要だ。
きちんと調理して感謝してすべてをいただく。


切り身のお魚だとあまり意識したことがなかったが、丸ごと一匹の鯛を見ていると人間も食物の連鎖の中にいるように思う。


そうすると自然に感謝して残さず食べなくてはと感じる。
誕生日にこんなことに気付いたことが嬉しい。

ほんとにみんなありがとう!





日曜日, 2月 18, 2007

葉山って素敵





以前はちょくちょく友人と葉山に遊びに行った。

お目当ては新鮮な空気とおいしいコーヒー。
いつ行ってものんびりしておだやかな感じがいい。


この1年なんだか忙しくてずっと行けなかったのだが、友人から声がかかった。
もともとその友人の知っている方が葉山のご自宅の敷地内でコーヒーを自家焙煎して売るお店を始められた、というので行き始めたのが4年前だったか。


「パッパニーニョ」というそのお店は葉山の御用邸のすぐ近くの丘の上にある。
犬をつなぐところがあったりテラスがあったりと、今ではすっかり近所の方々の憩いの場になっているようだ。

また店長である二宮のおじ様がコーヒーを入れてくれるのだが、そのパフォーマンスも名物になっている。二宮のおじ様のこだわりの豆と焙煎を自らの手でおいしく入れてくれる。

せっかくおいしいコーヒー豆なので入れ方がまずいと意味がない。
だから最近は自分でもコーヒーメーカーを使わずにコーヒーサーバーで自分の手で入れるようにしている。そうすると本当においしい。
ちなみに店名のパッパニーニョはドイツのサッカー選手であるベッケンバウワーが付けたそう。おじ様は昔サッカーの選手をしていて彼とも交流があるそうだ。そういうおじ様お話を聞くのもおもしろい。
最近は「葉山珈琲」というブランドでインターネットでも買える様になったが、なんとなく葉山のお店に行きたいと思ってしまう。まあ、葉山にいくきっかけにしてるという訳。
パッパニーニョ葉山珈琲のオンラインショップ


パッパニーニョに行くときは、近くの「うりんぼう」というおいしい和食やさんにも行く。
ご主人は有名な日影茶屋で働いていた方で、独立して奥様とお店を始められた。
葉山近くで取れたお魚を気軽なお値段で食べさせてくれる。


今回は残念ながらお休みだったので、長者ヶ崎にある「葉山ホテル音羽ノ森」のテラスでランチ。
ここはまるでニースかポジターノのような雰囲気でとても気持ちがいい。
テラスから見える景色は最高に素晴らしい。青い海ときらきら光る水面・・・
時が経つのも忘れてボーっとすごす優雅な一時。

デートにぴったりです!


今回は近くに一軒家を建てたという友人の家にも突撃でお邪魔してしまった。

12月にできたばかりのとても素敵なお宅。
ギリシャ風の白い家でとても明るくて素敵。
ビーチからは至近距離だし、砂が洗えるシャワーまで外に完備しているし、外からそのまま上がれるデッキもあってそこでビールを飲んだりできるそう。


多分またすぐにお邪魔しにいくとお思います!
(自分で飲む分のお酒は持っていきます~)


もちろんビーチも散歩したが、ほんとうにうららかで潮風が心地よかった。
海の色もエメラルド色だったりして、小魚も見えた。


なんだかやっぱり葉山って素敵。

葉山に移住計画再燃か!


木曜日, 2月 15, 2007

東京散歩










母と一緒に久しぶりに浅草に行った。

前回行ったのはいつだったかな?と考えていたら、そうそう去年の春、長命寺の桜餅を買いに行ったんだった。この桜餅は葉っぱが3枚ついていて上品な味がとってもおいしい。
銀座の松屋にも曜日限定で売ってたりするがすぐ売り切れる。



久しぶりの浅草寺、雷門。
連休中ということもあったが、かなりの観光客でごった返している。
天気もうららかで気持ちがいい。

仲見世はとてもすごい数の人で歩くのも大変なぐらいだ。
仲見世で買いたいものってないけれど、途中の箸屋さんをみつけた。
そこで母が持ち歩けるようにmy箸を購入。

浅草寺の門は今工事中らしくカバーがかかっていたが、本堂はやはりりっぱで大きい。
例のごとくお線香の煙を頭につけている人がたくさんいる。


本堂でお参りをしてから裏を散歩する。
梅が満開だったり椿もきれいに咲いている。
霞んだ感じの陽気に五重塔がきれいだ。

お祭りじゃないけど屋台がたくさん出ていてなんだか楽しい。

それから伝法院通りを抜けて浅草ROX方面を歩く。
途中に柘植のくしやさんや古美術やさんなどが並んでいる。
お団子を食べながら歩く。

さすがにてんぷらで有名な大黒家は長蛇の列だった。

そしてすしや通りにある入山のお煎餅やさんに行く。
ここは1枚1枚炭火の上で手焼きでお煎餅を焼いている。
手作りなのですぐに売り切れてしまうが、ちょっと待っていたら買えたので、焼きたてのお煎餅を頬張りながらまた歩く。

表通りに戻り神谷バーをすぎて吾妻橋から隅田川を見る。
水上バスも長蛇の列だ。

のんびりふらふら歩き続けたので、銀座線に乗る。
これから渋谷の松涛にある戸栗美術館に行くのだ。
銀座線の終点から終点なので約25分間ちょうどいいお昼寝タイム。


戸栗美術館は古伊万里や東洋の陶磁が集められている小さな美術館。
大きすぎないのでゆっくり見るにはとてもお勧めの美術館である。
今回は「古九谷」特集をしていた。

九谷焼といえば金沢なので加賀地方の産だと思っていたが、古九谷と呼ばれる磁器はほとんどが伊万里で焼かれていたそうである。なので古伊万里の中にある一様式である古九谷ということになるらしい。

どちらでもいいけどとても素敵だった。
17世紀のものばかりだが、色彩と文様が豊かでとても美しい。
こういうものがヨーロッパの陶磁に影響を与えたのかと思うと不思議である。

東洋と西洋が影響し合って素晴らしいものが今に残ったのかと思うとなんだかうれしい。


そして最後は大好きな三合庵でおそばをいただいた。
いつも5500円のコースをいただくが、旬の野菜中心でおだしがちゃんと効いているとても体に優しい味である。また、素敵な器を使っているので見た目にもとてもいい。
お蕎麦はしっかりした歯ざわりでお汁は濃い目である。



盛りだくさんな一日だったけど、外国から来た方を案内するときにお勧めコースだと自負。
もちろん東京に遊びにきた友達も案内してもいい。

なかなかいい東京散歩コースを発見!

日曜日, 2月 11, 2007

伊勢参りに熊野詣 part 2





翌日も快晴のとても暖かい1日になった。

ホテルから本宮大社はほんの目と鼻の先である。


さすがに伊勢神宮のような混雑はなくひっそりとしている。
檜皮葺のどっしりとした社殿が横1列に並んでいる。

お参りの後本宮裏の道を少し歩いてみた。
熊野古道のエッセンスを少し味わえる。

現在の社殿は実は明治に作られたもので、もともとは熊野川の中州に鎮座していたが大洪水で流されたそうだ。その場所が今は大斎原(おおゆのはら)という場所として残っている。


長い階段を降りて大斎原に向かった。
ほんの500mほどの距離である。

こんもりとした森が昔の参道を偲ばせるが、中は大きな広場になっていて小さな祠が二つ並んでいる。
そこが昔の社殿があった場所というのでお参りをした。

お参りをして後ろをふりむくと、不思議なことに白いあご髭をたくわえた仙人のようなおじいさんが立っていた。すると急に自分の身の上話を始めた。


現在は近くに住んでいて毎日ここへお参りにくるらしい。

若いときは和歌山で大工をしていたが、橋を作る工事をするためここ熊野にやってきて、お嫁さんをもらい、姑から土地をもらっていついてしまったと。
和歌山にいるときはいつもいろんな人に騙されて苦労してきたが、ここに来てから家族に恵まれ、周りの人からも助けられ、そんなことがぴたっと無くなった。
今は裕福ではないが良い家族に恵まれ幸せなので、そんな昔のいやな出来事も騙した人にも事情があったんだろうと許せるようになった。なので感謝の気持ちをもって毎日大斎原にお参りに来るんだと。

おじいさんのお名前はとても珍しくて應地峰さんというがとても気に入っているそうである。山には神がおり、地に人は帰る。その両方に応ずるわけだ。

とてもいいお話で、暖かくて柔らかな日差しの中でゆっくりと話を聞いたら、心も温かくなる。
おじいさんも導かれてこの土地にきて素直に感謝している。

とても素敵なことだ。この場所にはとてもいい気が流れているように感じた。



その後新宮に戻り速玉大社をお参りしてから、この辺の名物の「めはり寿司」のランチ。
醤油漬けの高菜でご飯を握ってあるのだが、大きくて目をはるからこの名前がついたそう。

確かにすごいボリューム。


そして一路、那智大社に向かった。
最近のいいお天気続きのせいか、滝の水量が少なくてちょっとさびしい滝だ。
もちろんお土産の「那智黒」も買った。

これで三社参りは終わり。



今晩の宿である「ホテル浦島」へ向かう。

近畿圏の人だったら誰でも知ってる勝浦の有名なホテル。関東でいえばハトヤみたいな感じだろう。
半島にあるホテルで通常は船で行くようになっているが、今回は夜外出をするので特別に車でのルートを教えてもらう。


ここの目玉は「忘帰洞」という洞窟風呂。
なんでも徳川吉宗が帰るのを忘れるぐらいいいお湯だったというのが起源だそう。
前回は嵐の中で入ったので波が入りそうなぐらいワイルドだったが、今回はゆっくりは入れそう。



夜は今回のハイライトであるお燈祭りを見に新宮へ向かった。
神社に近づくにつれ、松明の燃える匂いがする。
山の上にはもくもくと煙がたち、数百メートル離れたところからも山の上の火が見える。

さらに鳥居近くまで近寄ると人々でごった返していた。
皆山から降りてくる男達を待っているのだ。

しばらくすると白い装束の男たちが聖火ランナーのように次々と降りてきた。

皆とてもいい顔をしている。神聖な神事を全うした喜びと今までの穢れを清めたからなのか。
それを迎える人たちも何か誇らしげな感じだ。

新宮に生まれると3歳からこの祭りに参加するそう。
土地に根付いたこんな祭りが毎年あると誇りでもあるし、エネルギーの発散にもなったりするかもしれない。なんだか男たちも格好良く見える。
格好良く見える機会があるのはとってもいいことだ。(男の人にとって!)



翌日もいい天気で、白浜空港までの90kmちょっとの道のりをドライブ。
海岸線なので道はかなりくねくねしている。
とても穏やかな日差しと青い海が気持ちいい。

とか言っていたら飛行機の出発時間に間に合わないかもしれないぐらいタイトになってまった。
空港に着いたのは20分前。

レンタカーのオフィスは少し離れていたので、とにかくチェックインだけして友人には乗ってもらおうと思い覚悟していた。するとなんとレンタカーの方が引き取りにきてくれた。


なんという親切だろう。
お陰で無事に飛行機に乗れ、予定通り東京に帰ることができた。

ほんとうにトヨタレンタカーの方々には感謝です。
(お燈祭りのときも駐車場を貸してくれました!)


いろんな出会いがあり、人の親切が身にしみた旅になった。


熊野の神社についてはこちらを参照↓

紀伊山地の霊場と参詣道



金曜日, 2月 09, 2007

伊勢参りに熊野詣 part 1





昨年のお札を返し新しいお札をいただくために伊勢参りに行く。

今回は伊勢参りの後南下して熊野三社参りをし、紀伊勝浦を通り南紀白浜空港から空路で帰るプランだ。

なんせ2日半という日程なのでかなりタイトだったが、今回のメインはお伊勢さんと新宮にある神倉神社で毎年2月6日に行われる「お燈祭り」を見ることだ。


今回は伊勢、熊野は初めてという友人と出かけたのでじっくり見るというよりは、短い日程のなかである程度主要なところを訪ねるという感じだ。




一人で伊勢参りに行くときはいつも夜行バスを使う。そうすると翌日の朝6時半に伊勢に着くのでお参りをするのにちょうどいいからだ。でも今回はこのハードコースではなくて、7時発の新幹線で出発した。

近鉄を経由して到着は10時半ごろ。
青空のとてもいい天気。

この3日間は全国的にもよい天気で、4月ぐらいの陽気だというから、もちろん伊勢も暖かい。
これからのお参りには絶好のお日和になった。

まずは外宮をお参りしてから内宮にお参り。

宇治橋を越えると俗世と離れた神聖な場所の始まりである。
いつ来ても清清しい気分になる。
ゆっくりと足を進めるごとに体にエネルギーが充填される。


お正月も過ぎて2月の平日だというのにかなり混みあっている。
とくに東洋人の観光客が多いのにも驚いた。


それから特急を利用して新宮に向かう。
この特急を利用しないとエライことになるのだ。

和歌山の交通の便はかなり悪い。ひとつ乗り遅れるとすべてローカル線を乗り継ぐことになり、特急で2時間のところが5時間もかかることになるからだ。

新宮には16時半に到着し、レンタカーを借りる。
これからは帰りの白浜空港までレンタカーで移動することになる。


新宮には翌日に「お燈祭り」という火祭りが行われる神倉神社がある。
お祭り当日は女人禁制ということなので今日のうちにお参りをしておく。

お社は新宮を見下ろす小高い山の上にあり、急な階段を登りきったところにある。

明日の「お燈祭り」では前日から白いものしか食べず、熊野灘で禊を行った男性がお社のある頂上から松明をもって駆け下りるのである。
かなり急な階段をわらじで駆け下りるわけだし、当然一番を競ったりするので喧嘩があったりとかなり男っぽい祭りである。

遠くから見ると火の龍が山を駆け下りるように見えるし、近くだと火の流れのように見えるわけだ。

明日のお祭りが楽しみだ。


この日は本宮近くの渡瀬温泉で宿泊。

前回行ったときも同じ宿だったが、今回も「ホテルやまゆり」に泊まった。
というのも、ここには西日本最大の露天風呂があるから。

ここの泉質は透明だけどこってりしてて肌もつるつるになる。
このお湯は昔から多くの病を抱えた人を受け入れてきた尊いお湯である。

熊野には有名な「小栗判官」の蘇生物語がある。

毒殺されて一度葬られた小栗判官が閻魔大王の裁きで地上に戻されたが、土葬で腐りはてた姿だった。ただ大王の書付に「熊野本宮、湯の峰にお入れあってたまわれや」というのを見て皆で彼を熊野まで土車に乗せて搬送し、お湯に入った判官が見事蘇生するのである。


熊野の地は、男女、浄不浄、身分の貴賎の別なく病に苦しむ人を受け入れてきた地だそうである。
そして、蘇りの聖地として「蟻の熊野詣」と例えられたほど多くの参詣者を受け入れてきた。

(part2に続く)





木曜日, 2月 01, 2007

A TES SOUHAITS





冬になると食べたくなる魚のスープ「スープ ド ポワソン」。

プロヴァンスではポピュラーなスープだけど東京で食べれる店ってあんまりない。

ブイヤベースも有名だが、こちらはいろんな魚をいっぱい入れて裏ごしをするのでその時その時で味が違うのもまた楽しい。

かなり濃厚なスープなので、魚のエキスがギュッと詰まっていて美味。

その上チーズを入れたり、アイオリ(にんにくの効いたプロヴァンスのマヨネーズみたいなもの)を入れたりする。おいしい上に栄養価満点というところだが、Visual的にはあまりきれいではない。




このスープを食べるんだったらと教えてもらったフレンチ「アテスエ」に行った。
久しぶりだったのだけど、いつも私が魚のスープはあるか?としつこいので覚えていてくれた。

店名の「アテスエ」  ”A TES SOUHAITS” とはフランスでくしゃみをした人に「願い事が叶いますように!」とかける言葉だそう。英語の「Bless you !」と同じかな。

期待どおりスープはとてもおいしかったが、今回は海老の味が効いている気がした。
フォアグラのクレームブリュレもルバーブのペーストと一緒にいただくと酸味がちょうどマッチして、付け合せのブリオッシュととても合う。

メインには鴨のソテーをいただいたがとても香ばしくておいしい。


青学の側でちょっと駅からは遠いが、期待を裏切らないかわいいお店。

アテスエ
http://r.gnavi.co.jp/g281300/

火曜日, 1月 30, 2007

ささやかな贅沢


日曜は予定がなければ、ヨガのレッスンに行く。

私が行っている「アシュタンガヨガ」というのは、ちょっと前に流行った「パワーヨガ」のもとになったもの。STINGやMadonnaもはまったかなりきついヨガ。


おかげで最近は筋肉がついてきた。

特に肩や腕、太ももの裏に硬い筋肉がつくのでだんだん男らしく(笑)なってきたかも。

かなり汗もかくのデトックス効果もあるし、鼻だけの呼吸法はなんだか体もぽかぽかになる。

いつも終わった後は温泉から上がったような気分でとても暖かい。
(ホットヨガではないですよ!このヨガ、サウナ状態でやったら死んじゃいます!)

アシュタンガヨガジャパン


90分の時間の中で60分休み無しに動き、残り15分は休む。

とにかくきついので胃にものが入っていると吐きそうになるので前に水も飲んでもはいけない。
食事も6時間ぐらい空かないとなんだか途中で気持ち悪くなる。


というわけで、何もない日曜にヨガに行こうと思ったときは、朝食べたっきり何も食べない。
普段たくさん食べたり飲んだりしてるので、たまにはお腹を休めるという感じかな?

これがけっこういい。
中東のラマダンみたいで。


そして帰り道。

途中で読んだ本に京都ですき焼きを食べたという件があり、むしょうに食べたくなった。

1日食べてないので反動からか?


最近は家ではあまり肉を食べないのだけど今回は近くのクイーンズ伊勢丹に寄っていい肉を買ってしまった。そして大好きなイチゴもちょっと奮発して大きくて赤くてちゃんと茎がついているやつを購入。


関東の人はあまり家ですき焼きを食べないと聞いたが、我が家は両親とも大阪の出身で月に1~2回は食べていたような気がする。もちろんワリシタでなくてお醤油と砂糖をそのままかけるタイプだ。


久しぶりに食べてとってもおいしかったし、次の日は残ったもので焼きうどんにして食べた。

これもなんだか懐かしくて美味。



ちょっと奮発してもおうちご飯なのでリーズナブルにおいしいご飯。

ちょっとした日々の幸せ。



木曜日, 1月 25, 2007

マリーアントワネット

先日公開したばかりの「マリーアントワネット」を見に行った。あのコッポラの娘のソフィア・コッポラが監督だ。

彼女の映画「ロストイントランスレーション」は確かアカデミー賞をとったりして、今の東京を描いて話題になった。

今回は「マリーアントワネット」。

とても劇的な生涯を送った人で有名なのに、彼女にフォーカスした映画はなかったかもしれない。特にソフィア・コッポラが作るとなるとどんな風になるのかとても楽しみだった。


ベルサイユ宮殿があますことなく使われ、とても美しい。


それに豪華な衣装や彼女の好きだったお菓子にシャンペン、ゲームに興じるシーンや王妃としての慣習や生活のシーンなどとてもおもしろい。時代考証もちゃんとしているし、なんだかキャンディーボックスを開けたときのようなのきらきらした感じが素敵。


BGMはクラシックではなくポップスやロックを使っているのもなかなか。宮殿を抜け出して、夜中にパリの仮面舞踏会に出かけるシーンがあるのだが、まるで現在のクラブのような感じ。すごく楽しいのが伝わってくる。


そしてあまり知られていない彼女が感じていた世継ぎを生まないといけないというプレッシャー。
そうでないとオーストリアとフランスの同盟は成就しないのだ。


その中で自分の居場所というか生活を作りあげていったのだが、ルイ16世から宮殿の中にあるプチトリアノンをプレゼントされる。ここを彼女の好きな自然志向の場所に変えていく。動物を飼ったり植物を育てたりして、彼女の好きな場所を作り上げていくのだ。

そこの描写もとても素敵で、太陽と緑に溢れた自然な村みたいで宮殿の中とは思えない。

彼女がリラックスしているシーンは、光に溢れていて本当はこういのが好きな女の子だったんだ。考えてみると錠前作りと狩りが趣味の夫と違う世界で会ったなら以外とお似合いの夫婦だったのかもしれない。


映画を見ながら「ベルばら」のおさらいをしているような気がした。


なんせ私の小学校時代って「ベルばら」全盛期だったので、フランス革命の時代の歴史はこれのお陰というぐらい、頭に入っている。オスカル以外の登場人物は大体史実に基づいているから。

その頃勝手に自分の好きな「ベルばら」キャラを決めて呼び合ったりしてたな~
今思うと笑っちゃうけど、私はフェルゼン。


昨日はレディースデーということもあったが、女性比率高いというかほとんど女性。いろんな世代の人がいたがやっぱり思い出してるのかな~?

私みたいに。

火曜日, 1月 23, 2007

人間国宝の背中



かねてより楽しみにしていた「新春大歌舞伎」に行った。
この度の顔ぶれはかなり豪華。

雀右衛門と芝雀親子の競演。吉右衛門と幸四郎に玉三郎の雪姫。
勘三郎の鑑獅子。
そして福助に橋之助。

それに今回は友人のおかげで1階のど真ん中の席を手配してもらったので、とてもよく見える。
花道も近いので役者の顔よもよく見える。

あまりに豪華な面々なのでどの舞台もよかったが、なかでも勘三郎の踊りはすごい。
江戸城の鑑開きの余興として踊ることになった小姓弥生に獅子の精が乗り移り、最後は獅子の踊りで終わるのを勘三郎が踊りわける。弥生に獅子の精が乗り移るところなど、さすが勘三郎、とてもうまいし、獅子の踊りはとても迫力があって圧巻。

合間に蝶々の踊りを橋之助の息子、宗生(9歳)と勘三郎に才能を見出され部屋子になった鶴松(10歳)ら少年が踊るのだが、これがまたとてもかわいい。
ひらひらと獅子の周りを踊る様がとても上手である。
衣装も蝶々が舞っているような可憐なものでとても合っていた。


でもなんといっても今回のハイライトは芝雀さんの楽屋見舞いに行けたこと。
歌舞伎座の舞台裏を見ることができた。舞台衣装でこれから舞台に上がる方々やカツラをもってうろうろしている衣装係の人が狭い道を行きかっている。
(そこで見たカツラはその後の「金閣寺」で幸四郎がつけていた!)

芝雀さんは気さくな方でとてもフレンドリーに話ていただいた。
それにあの人間国宝である雀右衛門さんと楽屋が同じということで、化粧を落としている雀右衛門さんともお会いすることができた。さっきまで傾城(花魁)の格好で豪華な衣装を身にまとっていたが、今は化粧を落としてもらっている背中がとても印象的だった。87歳でも現役で活躍してらっしゃるのがとても素晴らしいし、やさしい笑顔がとても素敵だ。


この日は着物を着ていこうと思っていたが、先日実家に帰った折り、大叔母の遺品である縮緬の名古屋帯とクロコダイルのバッグを持ち帰った。もしかしたら去年買った江戸小紋に合うかもしれない!と。

普段お茶の会では着れない着物である江戸小紋を着ようと思ったので、この帯とバッグが大活躍。
とてもマッチして嬉しかった。小さな頃に亡くなったがとても可愛がってくれた大叔母と一緒に歌舞伎を見に行ったような気がして。

少なくとも40年前の品々だが、とてもそんな風には見えない。
良いものを大事にするとずっと使えるし、次世代まで残せるんだと実感。

それに大好きだった懐かしい人を思い出して、ちょっと嬉しくなったりする。

日曜日, 1月 21, 2007

大寒??



今日は二十四節気の大寒にあたる。
暦でいうと1年の中で一番寒い日。

東京では大寒らしくこの冬一番の寒さになった。

ところで今日のニュースを見ていると大寒の日に全国のいろんなところで「禊(みそぎ)」が行われたようである。1年の中でも一番寒い日にすることに意味があるようだ。

鹿島神宮の「大寒みそぎ」の模様を見た。
男性はフンドシ姿に女性は白衣で、鳥船という船をこぐような動作をする準備運動をしてから、神宮内の池に入って「大祓詞」を唱える。

皆歯をがちがち震わせながら一生懸命唱えているのをみるとこちらも寒くなってくる。
でも、終わった後のコメントが皆爽快で、「身も心も清まった~」とか「この1年を自分らしく生きよう~」など、とても満足感がある様子。

この一番寒いときに物理的に体を極限状態に持っていくのは意味があるのかもしれない。
それも神様の前で「禊」を行うことで心も清まるのだろう。


かたや群馬県長野原町にある川原湯温泉では「湯かけ祭」というお湯をかけあう祭りもある。
やはり大寒に毎年行われているそうだが、これも厄払いの意味があるそうだ。

やるならこっちのほうがよさそう!


今日はとっても寒かったが、一昨日近所で梅が咲いているのを見た。
季節を間違えて新芽を出してしまう木があったり。
地球の気温はどうなっていくのだろう。

日曜日, 1月 14, 2007

仏手柑


新年明けてからばたばたと日が過ぎてしまった。
私が今まで縁遠かったたシステム系のお仕事もやらねばならず、というかしたことがない分野だったので楽しかったが、時間があっという間に経つ。

何かうまくいかず悩んだり考えたりしているうちに時間はもう10時になっていたり。
(SEの方々が遅くまでプログラミングをしているご苦労がよくわかった。私のやっていることなんてかなり生ぬるいけど!)

とはいえやっと待望の会員サイトをスタートすることができた。
投資家教育と日本文化の発信という両輪でやっていく新しい試み。
新年に始めることができてなんとなく嬉しい。

ここでちょっと宣伝。
興味のある方はこちらへどうぞ。
ワイルドインベスターズ会員サイト


そんななか先日塩月弥栄子先生の初釜に行った。
毎年明治記念館で行われるが、今年はお天気もよくとても気持ちの良い日だった。
弥栄子先生は今年は89歳になられるがとてもお元気で素敵な方である。
裏千家大宗匠のお姉様にあたるが、お茶の教室はもちろんのこと冠婚葬祭や茶道関係の本を数多く執筆してらっしゃる。

初釜にはお正月のお飾りがあるが、普通米の上に炭、鯛、結び昆布、カチ栗を飾ったりするが、弥栄子先生の場合センスがあっておしゃれな方だからか、一味違う。

今年のはとてもおもしろい。
サルノコシカケの上に仏手柑(ブシュカン)というおめでたい柑橘が添えられていた。
とても奇抜な形をしているが、形状が仏の手に似ているということでつけられたそうだ。
何本もの手は千手観音を思い起こさせる。

何本もの手は救いの象徴。

食用ではなく昔から観賞用として用いられ、美術品の意匠になったりした。
有田焼に描かれた仏手柑がヨーロッパに渡り、なぜかマイセンのブルーオニオンのもとになったという説もあるそうだ。描かれていた東洋の果物は、ヨーロッパの人にはオニオンに見えたみたい。

仏手柑 
http://www.afftis.or.jp/mikan/mikan39.htm


おめでたいのでお正月に飾られるそうだが私は初めて見た。
なんだか得した気分。

木曜日, 1月 04, 2007

おもしろ新年対談


例年のごとく蓼科の家で甥、姪っこたちのいる慌ただしいお正月。
私の家は大家族ではないし、親戚も少ないので親戚中が集まってのお正月というのはほとんど記憶がない。最近は両親のいる蓼科でのんびり過ごすことが多い。

1日はお雑煮におせちを少し食べたがあとはあまり変わらない。
昔は三が日はお店が閉まっていて大量におせちを作り、工夫しなくてはならなかったのだろうが、今は1日から初売りがあり、コンビニやスーパーは開いてるのだから。

でも昨日は諏訪大社にお参りに行ったりして新年らしく過ごした。


昨晩、ちょっと一息ついたところでテレビを見た。
お正月のテレビ番組自体あまりにもくだらないものが多いのでほとんど見ないのだが、たまたま五木寛之と塩野七生の新春エッセーと称して対談番組があった。
1時間の番組のうちもう半分ぐらいは終わっていたので全部は見れなかったが、これがなかなか面白い。なんだか対談というのに二人のトークがかみ合わなくて面白い。

一応進行役は五木のほうだったが、思想的には違う二人なのでまず意見の一致はない。
現在いる環境や見ている方向が違う二人だからか、対談の中で違いが鮮明にみれる。

塩野が興味深いことを言っていた。

ローマは目に見えるものはたくさん残したが、目に見えないものもたくさん残している。
”パックスロマーナ”1200年続いたローマにおける平和である。

自分個人の安全は戸締りをしたりしてなんとかなるが町や都市の治安は国家が守るべきだ。

なぜローマ時代の都市は平地にあったのかというと防御する必要はなかったのである。その代わり安全保障税なる属州税(10%)を払えばよかった。
覇権国として、異民族の統治に関して勝者の寛容と言われるものがあり、文化を残すことはかまわないが共生するための法律があった=ローマ法。
文化は大切、でも基本的なルールは必要である。

現在においても民族間、宗教間の対立、紛争等が絶えないという現実を前にいにしえのローマ人の考え方を今一度勉強するのもいい。

92年から書き続けていた「ローマ人の物語」最後の第15巻が刊行されたそうである。


対談の表題である「よく生きよく死ぬために」についてはあまり印象は残らなかった。
まあ、1時間の番組に中でもしかしたら前半部分で話されていたかもしれないが、所詮壮大なテーマであるし、ローマ人の考え方等のほうが私には面白かった。

金曜日, 12月 29, 2006

幸せな風景


年末の羽田空港。

私は妹家族を迎えるために到着ロビーに向かった。
毎年のことだが今回はクリスマスを過ぎて、年も押し迫ったからなのか、かなりの人でごった返している。私と同じ家族を出迎える人が多い。

大体年配のおじいちゃん、おばあちゃんが転勤先から帰ってきた娘や息子家族を出迎えているパターンが多いみたい。

そして孫を迎えた瞬間のおじいちゃん、おばあちゃんの顔ときたら、ほんとに顔がほころび満面の笑みでのお出迎えである。孫たちも飛んで喜ぶものもあれば、久しぶりだからかちょっとはにかんだりして。

とにかくみんな嬉しそうだ。
到着出口のあたりは幸せのオーラに包まれている感じ。

こういう光景を目にして、命を繋ぐというのはこういうことなのかな?って。
何はともあれ親にとって自分の子の子、孫というのは特別かわいいのである。

都市においては核家族化が進んできたわけだが、なんとなく家族の問題が多い。
年老いた親と生活し、知恵を借りたり助け合いながら大家族で住むといろんなことも解決できたりするかもしれない。


イベント好きな日本人としも、やっぱりクリスマスではなくてお正月なんだな!
家族が集まるのは。

月曜日, 12月 25, 2006

花・花・花







先日友人と設立した会社の挨拶状ができたのでやっと出し終えたところ。
するとたくさんの花たちが送られてきました。

とってもきれいなのでアップしちゃおう!

こんなに素敵な花を贈ってもらってとても幸せだし、感謝です。その応援に恥じないようがんばりまーす!