火曜日, 4月 17, 2007

仏像オンパレード

大津の朝は雨上がりの暖かい朝だった。

ホテルから見える琵琶湖の青い景色を期待していたのだが、そこに見えていたのはぼんやりした褐色の景色だった。
なんとこの日は西日本では黄砂注意報が出るほど大量の黄砂が舞っていたらしい。


非常に残念だったがしょうがない。




関東ではこんなにはひどくないだろう。

大陸との近さを実感した。

古の時代は文化や人の往来もここからだったのだろうが、今では黄砂やごみやいろんなものが大陸からやってくるわけだ。



滋賀の交通はとても悪いと聞いていたので、今回もレンタカーを借りることにした。


まずは大津近くの三井寺に向かう。

ここには弁慶が引き摺って奪ったといわれる音色のよい鐘が有名。
先祖供養になるというので鳴らしてみた。
金堂にある仏像は素晴らしかった。

次は北上して一応石山寺に行った。
ここはとても大きな寺でガイドには必ず載っているらしく大型観光バスが止まっていた。

紫式部に縁がある寺だそうだが、仏像がとくにはないのであまり面白くはない。

ただ大きくて高台に上登ると一面に琵琶湖の景色が見えるはずだったが・・・

やっぱり黄砂でぼんやりしている。




二つの寺参りで以外に時間がかかってしまったので急いで高速道路を北上する。

目的は湖北にある渡岸寺にある十一面観音である。

石山寺からは90キロ近い距離。
名神高速から北陸自動車道を走り抜ける。

本当に琵琶湖って大きいと実感する。

湖北のあたりになるともうそこは福井、なんだか北陸の匂いがする。



渡岸寺の十一面観音は、去年東京の国立博物館で開催された「仏像展」にいらしていた仏である。

あの時は本当に人、人、人でほとんど見れない状態だった。

が、今日は私一人。
案内のおじさんも、「あれじゃあ、まったく見れんでしょ。今日はゆっくりでいいね。」


国宝の観音様なので、本堂とは別のお堂の中におられた。
耐震設備のある台の上に乗っている。

こんなに接近してゆっくり見られるとは思わなかったので、感動。


この観音様はとても美しい。

どこのどの仏より美しい。

たぶんモデルは女の人だったに違いないと思われるほど、ちょっと捻った腰のあたりは官能的であるし、鼻筋の通ったきれいなお顔に、一木彫だが肌がつるっとしてかなりの美人。

頂上にある仏もそれぞれ違うし、通常の十一面と違って横にある仏が右と左の耳の後ろにあったりして少し変わっている。見ていてぜんぜん厭きない。


この仏は是非是非一見の価値ありありだと思う。


とはいえかなり、田舎なので覚悟して行かないといけないが、何故だかこのあたりには他にも素晴らしい仏像がたくさんあるのでのんびりゆっくり回ってもいいかもしれない。


この辺の寺は住職さんがいたりいなかったりだが、村の人が共同で寺を守っているようだ。
なので、見に行くときは連絡した上で行くことになるが、案内してくれるのは大体村の人で、とても親切な方たちばかりだった。


その後の赤後寺では手がもげている聖観音と千手観音を拝見した。

このあたりは戦国時代にはとても激しい戦が繰り広げられたらしいが、その度に村の人は本尊を守るために土に埋めたりして隠していたからだそう。だからなのか、長い戦火のためか黒光りしている。


そして西野薬師堂で十一面観音薬師如来を拝見。

こちらは赤光りしていた。なんでも金箔の上に漆を塗ったそうである。


ここの案内のおじさんがもう一体見ていく?というので、正妙寺というお寺に連れて行ってもらった。
ここはほとんど知られていないお寺のようだが、「十一面千手千足観音菩薩」が祀られていた。


小さな金の像だったが、お顔は憤怒相で髪は青、口は赤に塗られていて、頂上には菩薩面が載っている。あまり見たことがない不思議な像だったが、見ているうちに気付いた。

チベット密教の曼荼羅に描かれている神にそっくりなのだ。


こんな田舎のまったく知られていないとところでチベットの神に出会うとは思わなかったが、由緒を見ると800年あたりに中国から持ち帰った像らしいとある。


こんな貴重な像を見ることができて、かなりラッキーな旅になった。

仏像を見ているうちに一日が終わり、急いでまた大津に戻る。
走行距離はなんと210キロもあった。


今回は仏像オンパレードの旅になり満足。

またゆっくり行きたいな~



高月町の観音・史跡・文化施設

火曜日, 4月 10, 2007

春の野辺 蓮華の咲く奈良


翌日は奈良を回るために橿原神宮に1泊した。

大阪の天王寺からは40分ほどで行ける。

今回は奈良でも特に仏像にフォーカスして、聖林寺、当麻寺、新薬師寺を訪れる予定だ。



昨晩は激しい雷鳴と雨でどうなるかと思ったが、よい天気になり春らしいぽかぽか陽気になった。




まずは橿原神宮から電車で聖林寺に向かう。
最寄の駅は桜井でそこからバスで8分ぐらい。

聖林寺の終点は藤原氏ゆかり談山神社。
こちらは秋の紅葉にとっておこう。


バス停から聖林寺までの道のりは、ほんとにのどかな風景でれんげやたんぽぽが咲いている。

もちろん桜も5分から7分咲きだろうか。レンギョウの黄色と薄いピンクできれいだ。


ほんとに田舎だからかほとんど訪ねる人もほとんどいない。
まずは本堂のご本尊を見る。

そこには巨大な地蔵菩薩があった。


なるほど、「見仏記」のいとうせいこうによるとすごい迫力の石仏がいると言っていた。
巨大なだけではなく、白い色に少しお化粧をしているような色がついているから何か違和感を覚える。


ここのお目当てはもちろん国宝の十一面観音である。
この仏は本堂から渡り階段で上がった少し離れたところにおられた。

確かに和辻哲郎がべた褒めしたと言われているその仏は、とても美しい。
ガラスの向こうに安置されていたが、真近で見ることがきる。

しっかりした肉付きで、金箔もきれいに残っていた。



この後また近鉄に乗って当麻寺に向かった。

駅から15分ほど歩いたが、春の道のりを歩くのはぜんぜん苦にならない。
この辺には古い家がたくさん残っていて、その建物を見るのも楽しい。


当麻寺は二上山のふもとにある歴史も古い大きなお寺である。

東と西に塔があり、本堂を含め国宝と重要文化財のオンパレードである。

なんといってもここの目玉は、中将姫が蓮の糸を使って一晩で織り上げたという曼荼羅を見ることができる。(本物は宝物館にあり、ここには後で作られた転写を拝見することができるが、これもまた古くてりっぱなもの)



中将姫の伝説はいろいろなものがあるが、民族学者の折口信夫が書き上げた小説「死者の書」にある話はロマンチックである。中将姫が二上山の雄岳、雌岳の間に見た阿弥陀を暗殺された大津皇子の霊とみたて、南家の郎女中将姫と心を通い合わせ、曼荼羅を一晩で織り上げるという話にしている。

↓よいコラムがありました。

「荘厳な人の俤」を見る…二上山
http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pickup/20060516bk02.htm


曼荼羅も素敵だったけど、やっぱり私は金堂にある弥勒仏とその回りの四天王が素敵だった。

いかにも頼れそう~といった感じの四天王像は異国風のがっちりした像だった。


駅の待ち時間の間に駅前にある中将餅本舗で中将餅をいただく。

赤福みたいなお餅だけど、中がヨモギもちでてとても香りがよくおいしい。





そして近鉄で奈良に向かった。

とはいえ、14時半ぐらいにはなっていただろか。
急いで新薬師寺に行く。


新薬師寺は、7年ほど前に行ったときからまた行きたいと願っていたところだ。

奈良の中心からは離れていてかなり辺鄙なところにある小さなお寺。

バス停からは住宅地を歩いて10分くらい。

この辺も土壁が残っていたり、桜が咲いていたり、うぐいすが鳴いていたりと風流なところ。

新薬師寺には大きな薬師如来とそれを守る十二神将が有名。

躍動感のある素晴らしい像たちが薬師如来を囲んでいてぐるっと回ることができる。


それぞれの大将は十二支の守り神になっている。

私の干支酉を守っているのはメイキラをいう大将。
なんだか片足をあげてヨガのポーズ風でかっこいい。

でもやっぱり私はバサラが好きかな~

バサラは妹の干支戌の守り神だった。


そして今回、もうひとつここで見たかったのが「おたま地蔵尊」

なんでも、男性のシンボルがついている地蔵尊で、体内からもうひとつ仏様が出てきたそうである。
残念ながら係りの人が帰ってしまったということで見ることはできなかった。


まあ、いっか。

また行けばいいんだから・・・



ということで、夕暮れになってしまった。


東大寺の戒壇院に行ければと思っていたがちょっと無理。




奈良の友人に教えてもらった、駅前の湖月というお菓子やさんの半径20センチはあろう大きなどら焼き(三笠饅頭)を買って、今晩の宿である大津に向かった。

月曜日, 4月 09, 2007

ほろ酔いの大阪

先週末大阪へ出張する機会があった。
もちろん仕事の後は奈良と滋賀を見てきた。
ちょうど桜が咲く頃だったのであえて京都は避けてみたわけ。

久しぶりの大阪。

私の両親は大阪生まれ大阪育ちで、私も10歳まで大阪にいた。
もちろん家の中は関西カルチャーである。

おうどんは薄味だし、おでんは関東炊き、月に一度はお好み焼きを家で食べて育った。


物心ついた若者の時は大阪という町にはいなかったので大人の遊びはよくわからない。
が、小さな頃の記憶をたどると詳しくは覚えてないけどなんだかノスタルジックないい思い出を感じる。

もちろん大阪の食べ物も関西弁も好きだし、歴史が残る京都、奈良も大好きだからか?



この度は久しぶりの心斎橋を歩いてみた。


ネオンがまぶしい、雑然とした町というのはかわらない。
やはり観光客も多く、シャーターを押してくれと頼まれる。




大阪はほとんど知らないという一緒にいた同僚によると、心斎橋の名物は道頓堀の飛び込みとナンパらしい。しかし、道頓堀の戎橋には高い塀が出来ており、川べりには遊歩道が整備されていた。

そして、ナンパしているシーンを目撃することもできなかった。


でも名物のたこ焼きはやっぱりおしかった。

その後はもちろんお好み焼き。
大阪の友人の教えてもらった「美津の」に行く。

いつも行列を作っているといってたが、案の定4組ぐらい並んでいただろうか。
ここはがんばって並んばないと。


たこ焼きのときも思ったが、お店の人がすごく手際がよく合理的なのだ。
だから並んでいてもストレスにならない。
食べてる人もさっさと食べて次のお客に譲る。

そう、関西のお客さんの目は厳しいのである。

たぶん手際が悪くて、もたもたしているとあっという間に悪評が立ってしまうのだろう。
そうやって関西の商売人が育っていくのかしら?


美津の名物のやまいものお好み焼きはふわふわでとてもおいしかった。

大阪にいると胃袋がいくつあっても足りない・・・



翌日は父親の出身地である阿倍野あたりをうろうろした。


子供の頃、両親の通っていた南大阪教会に行ったときの記憶が少しあるが、路面電車が走っていたのは知らなかった。路面電車に乗って晴明神社に行ってみた。

京都にも晴明神社はあるけれど、阿倍野のは晴明が生まれたところということらしい。


父親の保名はここの出身だからだ。

歌舞伎にもある葛乃葉伝説によると保名と白狐の子が晴明になる。
もちろん境内の中に稲荷神社も祀ってあった。


そしてお昼は新世界。
憧れというか大阪の下町、通天閣のお膝元でどうしても串揚げを食べてみたかった。

土曜のお昼ということもあって家族連れや観光客も多い。
家族が入れるような大きなお店もあったが、やっぱりおっちゃんがいるスタンディング串揚げやさんに入ってみた。

混んでいても場所をぐいぐいと空けてくれる。

串揚げはその場で串を作って揚げてくれる。ここでもてきぱきしたおじさんの手際のよさを発見。
揚げたてはとってもおいしかったし、なんとなんでも1串100円。
もちろん共同のソーストレイは2度浸け禁止。



串揚げを頬張りながら、ぼんやりとテレビを見る。

大阪のテレビは前日のタイガースの公式戦初日の話題ばっかりだ。


大阪の春、ほろ酔い気分でなんだかいい。